小獅子の尾

芸術大学の通信教育部に通う20代女子の雑記

【卒論の途中経過提出】担当教員への不満と巫女神楽について思うこと

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担当教員への不満

深夜まで続く論文執筆の日々を乗り越え、取り敢えず一万三千文字程度。
できた物を提出して来ました。

ところで、ここまで来て、なんだかやっぱり思うのは指導の不適切さ。
普通に、関西の神楽は歴史がないから価値がないって、失礼すぎません?

中世頃から、現代と同じ形で神楽を舞っていた資料が複数ある事、論文の中に書いてますよね?
私の書いた論文、ちゃんと読んでますか??みたいな。

関西の神楽なんか見たこともないけど云々、普通に指導者として不適切すぎて何とも・・・
一年近く私の卒業研究を担当してきて、一度も見たこともなく、少しも調べたりしなかったんですか、、ハァって感じですね。

言うこともコロコロ変わるし。
なんか、ちょっと解りますよ。
あなたより私の方が知ってるのよ!私に指導される立場なのよ!って事ですよね。
そうで無かったら、こんな言い方しませんよね。

結局、小娘が生意気!って事ですよね・・・女の人からは時々言われますよ。
生意気なのも解りますよ。

でもね、私も18歳で初めてアルバイトとして浦安の舞を習ってから10年。
曲がりなりにも、各地で巫女として神楽を奉納して来たんですよ。


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関西の神楽について

先生は根拠なく、見たこともない関西の神楽に価値なんか無いわよ!って仰いますけど、私は関西の里神楽としての巫女神楽を始めてから8年、先生以上に神楽に深く関わって来ました。

明治期の廃絶と、その後の復興、更に戦後GHQからの圧力と、国家神道として戦争に加担したイメージから祭祀がままならなくなり、再び廃絶した後に先生方が決死の覚悟で復興された事。

その際に、本来は地域単位で少しずつ違っていた神楽の形が統合され、現在は流派による違いとして定着してしまい、本来の神楽を失ってしまった事。
それでも地域による違いは今なお現存する事。

古い神楽を保存して欲しいと言うのは、大正生まれで神楽の復興にも関わった先生の願いでした。
先生自身が神楽を失ってしまった罪の意識から、何十年の時をかけて研究されていた事でした。

私はその後、本職の巫女となり、神楽が軽く扱われてどんどん変化して行く姿を見て復興を志し、神道とは違う視点を持てば、他の神社関係者と協力して神楽を取り戻せると信じて芸大の通信教育部に入学しました。

正直、卒論の指導には失望しました。
この程度の物なのかと。
卒論に至って、本当に、心底失望しました。
正直、これ以上テーマを変えろと言うなら、退学する事も考えています。
先生と呼ぶにはあまりにもお粗末です・・・

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神楽について思うこと

それでも論文は書きました。
当初の私の形にならない考えが、良く学術論文の形になっていると思います。
自分で、良く書けたと思います。

まぁ、注釈とかイマイチ良く書けてない部分もありますが・・・まだ完成はしてないので・・・
働きながら進めるのではこれが限界でしたが、論の筋は通っていると思います。

「芸能は変わって行く物だから、正解は無いよ」
「変わっていく物を研究しても意味ないよ」
「神楽は巫女さんに任せてるから、変わってても良く知りません」
「神楽には価値はないですよ」

そういう事を色々と言われました。
それでも、大阪の神楽の先生がいらっしゃったから学問として研究を続ける事ができました。

ここまで来て思うのは・・・神楽はそんなに簡単に変化したりしないって事です。
全てに原型となる宗教理論があります。
神楽の舞型は、全国的に見ても、驚くほど似通っています。

地域によっては、変化したら意味がないという言葉まで伝承されている。
そこまで大切に守り継がれてきた神事・芸能が、これほど価値を落としている、理論を失っているのは残念な事です。

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結局全ては祖先の功徳な気がする

最近神楽とか調べてて思うんですけど、なんか結局私が関わってきた神社とか神楽って、結局は同じ系統の物なんですよ。

修験道とか陰陽道とか色々入り交じってますが、結局は吉野から熊野にかけての地域から来てる。
先祖が住んでた地域と同じ。

結局ね、神社関係者からは良くあなたの経歴はとても普通じゃない、みたいな事を言われますけど・・・祖先に纏わる所ばかりにご縁を頂いてる様な気がします。

真言宗の系統の人は初対面から良くしてくださる場合が多いんですよ。

こっそりお菓子くれたり、何も言ってないのに祈祷をこっそり見学させて下さったり。
べつに若いお坊さんじゃ無いし、気があるからお菓子をくれたとかじゃないです。

ただ参拝してるだけで声を掛けられる事も多いです、真言系の所では。
真剣な感じやったから、なにかあるんかと思ってって言うので、これまで何回もありましたが・・・良く考えると真言系の寺社以外では殆ど無いです。

結局、私は祖先の助けを得て、祖先の方に向かって進んでいるのかなと思わんでも無いです。
自分の力でやっている事なんて何一つ無い様な気がします。

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これから、卒業後も更に研究を続けたいと思っていて、そのまま職業とか、立場としてどんな事をするのかは知りませんし、特に何かになりたいとも思ってなくて、今インターネット関係の仕事をしてるので、仕事はこのままスキルを得て高給取りになって、有り余るお金を使って、各地の神楽を研究したいと思ってるんですけど・・・

なんか、和歌山の方に向かって行きそうで怖いですね。
もうあの辺の神社には二度と参拝しないと誓ったのですが・・・なんかもう、和歌山って聞くだけで気分が悪い訳ですが。

将来が恐ろしいです・・・

ところで、論文が終わったので、よくやく中国ドラマを観る時間が出来ました!
三國志!楽しみです。

私はわりと中国が大好きなタイプの人なんですけど、最近研究の中で、殷代には人身御供として人間を切り刻んだり、煮炊きする事があったっていう論文を見てドン引きしました。

殷って凄く進んだ文明国ってイメージだったのですが、ちょっとイメージが崩れました・・・
そんなわけで、もう寝ます、おやすみ。

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