お盆と御詠歌
無事にお盆が終わりました。
長らく接客をしていた私は、転職して久々にお盆休みを頂いた物の猛暑が祟って寝たきりでした。
それはどうでも良いか。
家の近辺では、近くの川の橋の所までお線香を持ってお精霊さんを迎えに言って、帰るときも川の橋までお線香を持って送りに行くのですが。
お精霊さんを迎えた後と、送る前に御詠歌を歌います。
この辺の御詠歌と言ったら、お坊さんが歌う仏教歌謡・・・と言うよりも西国三十三所の巡礼歌です。
普通は御詠歌って巡礼歌の事じゃないらしいのですが、少なくとも親類の家ではどこも巡礼歌を歌います、熊野から始まるやつ。
巡礼歌を歌う事で、祖先の霊は西国の霊場を回るのと同じ功徳を得るそうです。
霊場を参詣して貰ってから家に迎え、霊場を参詣して貰ってから帰って貰うらしい。
トリビアです。
これがね、なかなかキツイ関西弁なんですよね。
何と言うか、汚い言葉って意味のキツイじゃないんですけど、結構強い訛りがある。
歌と言うより、霊場の名前を読み上げる所や、最後の南無大慈大悲の観世音菩薩から始まる一文がやたら京都なんです。
最近私は能楽の講義を受けて、能って意識したこと無かったけど、京都とも大阪とも違う、奈良独特の方言が残るしゃべり方をするなぁ~と思って聞いてたんです。
どうでも良いけど、この最後のフレーズは、
くわんぜおんぼさつ。しゆじゆぢうざい。ごぎやくせうめつ。って書いてあって音読の難易度が高いです。
種々重罪五逆消滅らしい、家では四重重罪五逆消滅って言ってるけど、どっちでも良いから漢字で書いてくれって感じですね~
そこにお盆の御詠歌も加わって、なんだか面白く感じられました。
方言が恥ずかしいのはなぜ?
聞いた話では、関西と九州の人は地元を離れても方言を封じ込めない人が多いそうです。
そんな関西人の私は、学生の頃は地元の人以外には標準語を使うように意識していました。
関西弁を馬鹿にされたら嫌ですからね。
所がですよ、雅楽の先生や舞の先生が誰に対してもコテコテの関西弁で接しているのを見るにつけ、なんだか標準語に寄せて話をするのがアホらしくなって来たのです。
相手が理解できない場合を除いて、相手の出身地に合わせて言葉を変えるのって、結構普通に失礼ですしね・・・
その前から、他府県出身の人と関わる度に私は方言って何なんだろう?というので疑問がありました。
例えば、方言を話すのが恥ずかしい、みたいな感覚がある。
不思議ですよね?
どこから来た感覚なんやろうと。
標準語の成り立ち
調べてみると、標準語というのは東京の言葉というのでは無くて、明治時代に政府が人工的に作った言葉というのが解った。
当時は今よりも方言が強く、昭和になっても沖縄で本州の人と現地の人の会話が通じず、別の日本人が通訳をしている映像を見た事があります。
きっと他の地域も同じような状況だったのだと思います。
まぁ、東北なら東北、九州なら九州で近い地域の人同士の会話なら通訳までは必要なかったでしょうけど。
その言語の断絶を標準語によって解消して、平等に教育や何やの機会を与えたと。なるほど。
標準語の普及と共に、言語の断絶は緩和しましたが、その辺りから方言を見下すような風潮が出てきた様です。
それまでは方言を話す事は恥ずかしいことだと思われてなかったと。
ホンマかなぁ~って感じでしょ?
私は疑ってました。
方言と芸能
でも、伝統的に今でも御詠歌や能楽に関西弁の歌が残っているのは凄く面白いなぁと思って、まぁそう思った次第です。
方言が恥ずかしかったら、こんな奈良のコテコテの関西弁にはなってないよなぁ・・・と思って。
特に能楽は、南都の方言が恥ずかしかったらこんな全国に広まってないよなぁ~と思って考えたり、しかし上方は言葉が綺麗だと思われてたんだから、関西だけかも解らんしなぁと思って考えたりしています。
そう言えば、仏教歌謡も当時は関西が中心だったので、関西の方言が残っていると言う話を聞いた事があります。
特に関西は都があったので、言葉が芸能や歌謡として残りやすい理由があったのだと思います。
その一方で、西国三十三所の巡礼歌などは都との関係はありません。
巡礼歌の様に、他の地域にもそれぞれに、方言の残る歌や芸能があるんだろうかと思って考えています。
東北とかはありそうな気がしていて、ちょっとそういうのを本で見たことがあるんです。
聞いたことは無いけどね。
他の地域にもあるのでしょうか。
とても面白いと思います。
所で、どうでも良いですが、能楽の旧称・猿楽の猿ってのは猿女の君の猿から来てるって説が個人的に凄く好きです。
以上