成績良かったけど微妙な気持ち
卒論の途中経過で提出するレポートが返ってきました。
点数はまぁまぁ良かったけど、なんか微妙な気持ち。
私の研究テーマを散々に馬鹿にしておいて、成果が出てきたら良かったとか言われてもモヤモヤしか残らない。
これまで、散々大学側が学生を見下す態度を取って来た事を知っている私としては、なんかモヤモヤする。
なんかね、通学部の卒業生が通信教育と連帯してる公開講座に参加して講師と学生間でトラブルがあった事件があって。
事務局が卒業生なのに同窓会への参加を禁止したり、学内への出入りを禁じたりして、訴訟とかになってたりするんですよ、うちの大学。
卒論書いてても、そういうのが色々あるから萎縮して、自分の意見が言えなくなってる学生もいる。
だから、私だけにやっぱり良かったとか言われても釈然としない。
結局、通信は通信であって、オマケみたいな物なのかなって思います。
まぁ、通学の人も被害に会ってるんですけどね・・・
担当教員と意見が合わない
卒論を書いてみて、なんか担当教員の認識に問題があるなと思った。
始めから研究の成果を求めてくるんですよ。
そんな空気がある。
でも、卒論に取り掛かった時点から研究の成果が出てるなんてあり得なくてですね。
やっぱり、ある程度の成果を出そうと思ったら、半年くらいは研究に取り組まないと無理だと思うんです。
テーマを変えろ、変えろ、変えろ、変えろ、神楽は神道で仏教や中国文化とは関係ないってので散々に言われましたけど、研究成果が出てきたので、やっぱり教員の言うことは聞かなくて正解だった。
ここまで来て、教員の指導って何なのかなって思ったりもする。
教員は思ったことを言うだけで、こちらの質問や文献の書き方みたいな所は教えてくれない。
場合によっては、教員の意見に威圧されて、研究の主導権を取られてしまってる学生もいる。
そんなんだったら、指導なんか要らないんじゃないかな、とも思います。
指導って凄く難しいと思うんですよ。
指導があったから良くなる人もいると思う。
それでも、何というか・・・今の大学のシステムは適切に動いてない気がします。
卒論に対する認識の違い
卒論を書くって実は凄く大変な事で、学部の四年間の集大成で、学部に在籍している殆どの学生にとっては人生で始めての学術研究になると思います。
やっぱり強い思い入れがある。
だからこそ、成果が出る前から教員の主観で一方的に評価されるのはどうなのかなってちょっと思います。
私は今は亡き大阪の先生から教わった事を、学術的な形で証明したいと思って通信制大学に入学しました。
ようやく論文という所で、成果が出る前から散々に酷評された事を本当に残念に思っています。
戦前から神楽を続けて来られた先生方の意見を否定された事、とても忘れられません。