この頃、本当に卒論に追われてます。
私の性格上、疲れている時ほどギリギリまでねばって資料を用意するので、ゼミの前日は嵐の様な心境です。
今日も卒論に関する資料を作っていて、実は色々な事が徐々に形になってきている事に気がつきました。
そして思った。
論文は研究よりも考察が先なんだ。
今日はそんな感じでブログを更新しようと思います。
通信制大学のゼミが始まる
私の研究は宗教舞踊に関する物で、入学前から卒論のテーマは決めていました。
研究したい事があって、入学を決めたクチなので、ようやくゼミが始まったとすら思ってました。
しかし、そんな私も卒論のゼミが始まると、なんだか思っていたよりも筆が進まず。
具体例はあるものの、研究テーマがボンヤリしていて、それぞれの例に結び付かない状況が続き、不安なまま何度かゼミを受講する日々が続きました。
そして、今も続いています。
日々、指示されるままに無理矢理資料を製作している中、ある時点で、以前よりもテーマが明確になっている事に気がつきました。
具体的なテーマが知らない内に定まっていた。
そんな感じで、周囲から追い込む様な形で、結局私の卒論の内容は大まかに定まりつつあります。
研究テーマが漠然として纏まらない
私の場合は、宗教舞踊というのが研究のテーマです。
まぁ、漠然としてますよね。
具体的な○○地方の芸能、みたいな物ではなく、全体を統括する様な研究がしたかったのです。
が、漠然と全体を勉強しても、全然研究は進みません。
講師から地域を限定せよ、との指示を受け、納得しないまま地域を限定するに至り、そのまま研究を続けていました。
そんな中、その舞踊を調べていると、やはり他地域の芸能との関係が出てきて、思いました。
やはり特定の地域だけを研究していては全体像が掴めないと。
そこで私は、舞踊の関係性をより詳しく調べる事にしました。
この辺りで、またも研究が具体性から離れて来ます。
焦りと迷いを感じる時期
舞踊の関係性を調べ始めた事で、研究が振り出しに戻った感覚があり、正直焦りました。
内心、凄く焦りましたが、"ある地域のある舞踊"の概要を書くために何百万も支払って大学に来たわけではありません。
四年間(留年したから五年間だけど)の集大成として、自分に恥じない研究にしたかった。
そんな訳で、精神的にも追い込まれて来ます。
まだゼミが始まったばかりだよ!
それでも体調不良の中、図書館に通い、それぞれの舞踊を調べる中で、仏教や儒教との関連性が見えて来ました。
そこから私は、仏教や儒教を調べ始めます。
この辺で心が折れそうになりました。
今、ようやく仏教と舞踊の関係を整理できた様な地点に居ます。
卒業論文の方向性が見えてきた
ここまで来て、もはや本来の研究テーマを忘れつつありますが、改めてゼミの資料を作っていて思いました。
ようやく自分が既に研究している物の概要が掴めた様な気がする。
きっと理数系も大変だと思うのですが、文系はデータとして根拠を示せない分、古い資料を延々と読んで根拠を探さなくてはなりません。
正直、概要を掴むだけで手一杯という感じ。
それでも、時々こうやってゼミの資料を作ったりする中で、自分のやってきた研究を振り返る地点があります。
今、振り返ってみて、自分が研究していたのは舞踊の関係ではなく、舞踊と思想の関係だったんだと始めて気が付いたりします。
本末転倒みたいですが 笑
不思議な物で、言語化できない何かを探し求めて、ある地点でふと言語にできる様な、そういう目に見えない物を感じます。
卒論は精神的に追い込まれる
卒論のテーマって、実は研究が完成するまで解らない物なんじゃないかと思います。
それで良いのかも知れないと思います。
理数系はそれだと困るかもしれないけど・・・
本当は学者として、舞踊を採譜し、学術論文として大成させたい気持ちもありますが、日本ではそこまでの勉強ができません。
卒論は結局、ひとつの通過地点でしか無いのだと思います。
卒論のテーマは直前に変わる事も良くあるみたいですし、卒業生の発表を聞いていると、結局は納得の行かないまま論文を提出せざるを得ない事も多々ある様です。
時間との戦いです。
気負うとメンタルが追い込まれてしまうし、気楽にしていれば良いという物でもなく、結局は焦りながらも少しずつ進めるしか無い。
通信は特に働きながらなので、卒論に費やせる時間が少ない。
どうするべきか。
結局、毎日少しずつやるしか無いのかなぁ、と実感しています。