小獅子の尾

芸術大学の通信教育部に通う20代女子の雑記

知的障碍者・精神障碍者が差別を受ける日本の現実

こんにちは。
現在無職の通信制大学生です。

私自身、軽度の障碍を持つ身として、今日は障碍者を含む弱者がどの様に社会に適合して行くべきなのか?という私自身の問を文章に書き起こしてみようと思います。

刑務所内の障碍者

私はこのビデオを見て、軽度の知的障碍者、精神障碍者の生きづらさについて考えさせられました。

youtu.be
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下のビデオの中で、山本譲司さんは障碍をスペクトラム(連続体)という言葉を使って説明しています。

山本さんの言うように、実際には全ての障碍に連続体としての一面があり、障碍者と健常者の線引きは常に曖昧な物だと考えられます。

動画のコメント欄には、登場する知的障碍者の方達は、真面目に働けば生活できる人達だとする指摘がありました。

しかし、私はこのコメントに反対します。
真面目に働いても生活に困難があるからこそ、この様な問題になっているからです。

私には彼らの生きづらさが身に迫る様に感じられました。

この動画が製作されてから十年以上の月日が流れましたが、軽度の障碍を持つ受刑者は現在も増加する傾向にあります。

十年以上の月日を経ても問題はなにも解決していません。

ステップアップできない社会

私は個人的に、今の日本の社会的な環境を"ステップアップできない社会"だと感じています。

そもそも、日本の企業における社員の評価には奇妙な偏りがあり、優秀な人物よりも、より平均的な能力を持つ中間層を評価する様な傾向があります。

日本は学歴社会だと言いますが、大学院卒の資格はあまり評価されず、就職市場ではストレートで学部を卒業した人間が積極的に採用されています。

未だに終身雇用制を引き摺っている事から、転職にはマイナスの意味がある他、キャリアアップの為に社会人から学生へ戻るという選択肢も、一般的には受け入れられていません。

学習が困難な家庭環境に生まれた場合や、金銭的に困窮している家庭に生まれた場合、キャリアを更新していく事が難しく、結局生育環境によって将来が決定されてしまうという現実があるのです。

障碍者の場合、この様なハンデは更に大きい物になります。

障碍者への意識と差別

動画の中で、山本さんは日本の精神障碍者が社会から隔離されてきた歴史に触れています。

現在の日本では、重度の障害で医療的な問題がある場合や犯罪に巻き込まれた場合等を除いて、障碍者が隔離される事はありません。

しかし、障碍者と健常者の生活を切り分けようとする意識は、現在も様々な形で見え隠れしています。

知的障碍者・精神障碍者ではありませんが、車椅子利用者についてこの様な動画があります。
動画の前半は英語ですが、車椅子利用者の方へのインタビューは日本語です。

聴覚情報処理障碍のある私にはかなり聞き取りにくいですが、普通の方だと聞き取れるのでしょうか?
ちょっと解りませんが、興味のある方はご覧になって下さい。
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私は障碍者手帳について医師と相談した際に、日本では身体障碍者への理解は昔よりも進んでいて、差別は徐々に減っているけれど、精神障碍者(脳の機能障碍は精神障碍に分類されます)への偏見や差別は根強く残っていると説明を受けました。

結婚や就職、今後の人生に関わる事なので、手帳の申請はギリギリ迄先伸ばしにした方が良いというのが医師の見解で、私はこれまで手帳の無いグレーゾーンで定型発達・健常者として生活して来ました。

実際に、障碍者手帳を取得している事が原因で、当事者や家族の理解はあったにも関わらず親類から離婚を迫られた患者さんも過去に実在したそうで、私は医師の判断が間違っていたとは思っていません。

障碍者として生きる事

人と違う特性を持つ人物が日本社会で生活して行く事は、決して容易な事ではありません。
これは、私自身が軽度障碍者として日々感じてきた事でもあります。

軽度障碍者の多くは日常的なサポートは必要としないものの、社会生活に適合して行く程の力は有していません。
日本経済が停滞し、雇用問題が注目される今、軽度障碍者の犯罪率は増加しています。

一度社会的な評価の基準から外れた者が、再び社会で評価を受けるのは事実上難しい事だと思います。

私は自分自身の問題を含めて、一部の障碍者や犯罪者等、一般社会から弾き出された人達が、どの様にして自身で生計を立てて行くのかについて、以前から強い関心を持ってきました。

通信制大学や様々な制度を通じて、全ての人に教育を受けるチャンスがある事を発信したいと思っていますが、正直、今の私にはこの問題をどの様に解決すべきなのかは解りません。

今後なにかしらの形で意見を表明して行くことができればと感じています。