小獅子の尾

芸術大学の通信教育部に通う20代女子の雑記

巫女とは気狂い・物狂い・非人の事だと思う話

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巫女と気狂い・物狂い

これは偏見で言っている訳じゃなくて、個人的に巫女とは物狂い・気狂いの事だと思っています。
文献や史料でも、巫女を物狂いに分類していたり、気狂いみたいに書かれている事はあります。

他人の霊魂や神を憑依させる巫女っていますよね、イタコとかそういうの。
言葉は悪いですけど、気狂いって言うのはそういう事だと思います。

狐憑きっていうのも存在しますね。
本当に狐が憑いてるのかどうかは知りませんが、そういう概念は存在します。
狐が憑くのも気狂い、神が憑くのも気狂い。

精神疾患の事ではなく、なにかが憑く事を気狂いと称してるんだろうな~と思います。

物狂いってのは芸能者の一種ですが、これも同じような所から出てきた言葉だと思います。
木の枝を持って芸能をする訳ですが、今でも神楽は榊や笹を手に持つ舞が多いです。

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非人としての巫女

そもそも民間の巫女は非人だった。
神事に携わる人間が非人として差別を受けている例はまぁまぁ良くあります。

陰陽師や県巫女に関連する地域が差別を受けている事もある。

天文学や暦学を知り、占いを行う人々に、民間の人達がある種の畏怖を感じると共に、交流を禁忌した気持ちも少しは解るような気もします。

彼らは虐げられていたのかと言うと、実はそれは少し違う。
差別と虐げる、では言葉の意味が少し違っています。

禁忌があるだけで、多くの民衆は民間宗教者を頼って各地から彼らを訪ねていますし、彼らは差別を受ける一方で村落の祭祀を任されています。

ここで言う差別とは、例えば欧米の人種差別の様な差別ではない事に注意する必要がある。
日本の歴史の中にも、人種差別に近い差別は存在しますが、それは民間宗教者への差別とは少し違う。

この特殊な環境を理解しなければ、日本の民間宗教者を理解することはできないと思います。

非人というのは、見下す意味だけで用いられている言葉ではないけれども、差別を伴う言葉でもある訳です。

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巫女の多様性

巫女にも色々な立場があります。
宮中の祭祀に関わる者、神社に所属する者、神楽を職分とする者、心霊との交流を職分とする者、色々です。

熊野比丘尼の様な者もいる。
彼女たちは巫女なのか、巫女でないのか。
その定義も曖昧です。

現代では巫女と言うと、神社で緋色の袴を穿いている人間のイメージがありますが、決してそうではない。

大体、緋色の袴は宮中に参内する際の正装ですから、着用には許可がいる訳です。

緋袴を付けていた巫女は少数だったと考えて良いでしょう。
無許可で緋袴を穿く者も中には居たと思いますが、中央政権から離れれば離れるほど、緋袴の巫女は減少したのでは無いかと私は考えています。

現代でも、黒紋付きを着て神楽を行う巫女も存在します。
今は許可なく緋袴が穿けるのに、わざわざ黒紋付きを着ているのが慎ましくて私は好きなんですけど。

ともかく、現代の巫女のイメージと言うのは、巫女の歴史を見る中で、決して正確な物とは言えません。

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個人的な気狂いとしての自覚

巫女って言うと、現代の日本では妙なイメージが付いて回ります。
二次元のイメージがあまりにも強すぎますね。

私が巫女になったのは、曾祖父が漆のお面を作っていて、そこから神事芸能に興味を持ったからです。
そこに山伏さんとの出会いとか、色々な事情もあったのですが。

神社の関係の人から、時々、普通の人はそこまで出来ないと言われる事もあります。
本当に、今は良くして頂いています。
お神楽も雅楽も、先生方には本当に感謝しています。

その一方で、自分がお神楽や雅楽に携われるのは、まぁ、私がしつこく追い求めるから、というのもありますが、自分が気狂いだからだろう、という気持ちもあります。

伝統芸能を本当に学んでいる以外の人には、解らない感情だと思いますが、決して卑屈な意味ではありません。
気狂いだから芸能ができるのです。

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普段、巫女さんだと思われたくなくて、巫女さんとして美化されると凄く嫌な気持ちになります。

それが何故なのか、改めて考えてみた時に、自分は気狂いとしてのある種の自尊心があるからなのかな、と改めて思ったので書いてみました。

本当は私は民間信仰が好きで、そういうのが盛んな地域に生まれたので、神社神道への反発も強く持っています。

だからそう思うのかも知れません。

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