最近、外国人の方と話をしていて、文化が人間の感性にいかに影響しているのかを実感しました。
更に続けて、ナースさんと注射の話をした事で、人間の感覚が個人によって全く異なる事を実感。
あまりにも大きな気付きを得たので、ブログにしようと思います。
異文化とは何か?ー文化が与える影響
最近、相も変わらずペンパルサイトで外国人とチャットしていて、相手の方が日本のランドスケープが好きだと言っていたので、日本庭園をオススメしていました。
そんな話の流れから、華道や庭園文化なんかの文脈で日本の伝統的なアーティスト(芸術家・職人)は、芸術は自然よりも自然だと考えますよって話をしたんですよ。
そして思った。
この前大学で、自然=natureの対義語としてart=人工物・人為的な物質があるって習ったばっかりだと。
西洋の文脈で言えば、artとnatureは対義語になるのですが、東洋ではartとnatureはむしろ親和性がある関係を保っています。
芸術に儒教的な哲学思想があるからですね。
この前提条件を知らずに、芸術は自然よりも自然ですよ!なんて言うと、もう人間こそ心理!科学こそ自然!みたいな風に受け取られても仕方がない訳です。
そんな所で、いかに文化が人間の思想に影響しているのかを実感しました。
感覚の差異とコミュニケーション
私は血液を見るのが嫌で、注射が嫌いなのですが、病院で採血をした時にナースさんにその話をする事があります。
大学病院のナースさんは、子供の頃に無理矢理注射された事がトラウマになっているのでは?と言われ、トラウマなら対処せねば・・・と思っていましたが、個人病院のナースさんは、私も注射は怖いです、針を刺すんですから当たり前ですよと言われ、なんだか納得しました。
そうか、人によって注射から連想する恐怖の度合いは違うし、感じ方は違うんだ。
それは当たり前の事ですが、凄く新鮮に感じました。
大学病院のナースさんは、注射への恐怖心が元々少ない方なのだと思います。
だから、注射への恐怖=トラウマだと思われたのでしょう。
個人病院のナースさんは反対に、注射への恐怖心が強いので、当たり前ですよと思ったのでしょう。
本当に当たり前の事ですが、人間はみんなそれぞれ感じ方も感性も違っていて、本当の意味では他者が感じている世界を知る事ができない訳です。
だからこそ、同じ注射への恐怖心に対する解釈がここまで変化するのだと思います。
解り合うにはどうすれば良いの?
そんな訳で、つらつらと書いてきた訳ですが・・・
結局、コミュニケーションの問題は全て、個々の人間の感覚や生育環境の差異から生まれて来ると言っても過言では無いと思います。
なぜ特定の他者と解り合えないのかと悩む方がいれば、それは当然の事で、他者とあなたが違うから解り合えない訳です。
だって違うんだもの。
昔から言われている事ですが、相手の立場を思いやるには想像力が必要です。
コミュニケーションを円滑にする為に必要な物、あるいは相手の意見を尊重する為に必要な物は何よりもまず、想像力でしょう。
相手がどのように感じるのかを想像できる方は、差別的発言をしない傾向があるのは当然です。
相手に想像力が無くても、想像力が無い背景を想像できる事に人としての価値があると私は感じています。
そして、理解する事、解り合う事は良いとされやすいですが、人間は誰しも全く異なる価値観の中で生きる人に理解される必要はありません。
人間は解り合えない
NOVAのCMだったか、"異文化コミュニケーション"という単語がテレビで使われていた時期がありました。
あれは外国人とのコミュニケーションを意味しているのですが、実は広い意味では人間一人一人が異文化にいると言っても過言では無いと私は感じています。
例えば、ここに色盲の人が居るとします。
或いは全盲の人でも良いでしょう。
あなたには彼らの見ている世界が理解できますか?
答えはNOです。
健常者には障碍者の世界を想像する事しかできません。
何故なら、健常者には障碍が無いからです。
酷いと思うでしょうか。
しかし、これは否定できない事実です。
そして、この問題は障碍者だけの問題ではありません。
あなたは私の世界を想像できるだけで、実際の私の世界を理解する事はできませんし、私もまたあなたの世界を想像できるだけで、実際のあなたの世界を理解する事はできません。
私はこの真理に気付き、ずいぶん楽に感じました。
では!