小獅子の尾

芸術大学の通信教育部に通う20代女子の雑記

【日本文化】家元制度の成立とその矛盾

近世に形作られた"家元制度"には、ある種の矛盾が生じています。

試験で家元制度について、繰り返し何度も勉強したので、今日は家元制度の矛盾についての記事を書こうと思います。

家元制度とは

家元制度という言葉は大抵の方が知っていると思います。
○○流の宗家等と呼ばれる、流派の中心になる方の事ですね。

芸事の世界に流派という、ある種の組織が成立したのは近世になってからの事です。

それまでにも日本の芸事には血脈(けちみゃく)という物があり、師弟関係は存在していました。
つまり、誰の系統の芸であるのかが細かな違いで解った、という事ですね。

しかし、近世になってから庶民が経済的な基盤を持った事で芸事を習う様になり、芸事の師匠である家元を中心とした"不完全相伝"もしくは"一子相伝"という相伝の形が作られます。

簡単に言うと、芸事の全権利は家元にあるため、弟子は独立して芸を教えたり芸を売ったりする事ができないという物です。

逆に、芸事の権利を全て受け渡す事を完全相伝と言うのですが、芸事を完全相伝されるという事は、イコールで家元になる事を意味しています。

流派の中では階層的な上下関係が作られ、決して芸事の全権利を許される事はありません。

聞くだけでも苦しくなって来ますね。
少なくとも私はあまり好きではない価値観です。

しかし、この様な価値観を前提とした芸事の"流派"が江戸で生まれ、やがて全国へと展開して行きます。

家元制度の矛盾

私はプライベートで雅楽を習っていますが、雅楽には流派がありません。

先生から認められる必要はありますが、ある程度まで修得された方は個人的に雅楽を教えたり、新しく団体を作るなど、近世以降の芸事よりも比較的自由な基盤があります。

これは、雅楽が不完全相伝では無いからです。

不完全相伝の"流派"の中で、習っても習っても芸事の権利は得られないとなると、私は聞くだけでも苦しくなります。

なぜ苦しくなるのかを考えてみると、それは家元が流派の全権利を握り締めている事が原因なのだと思います。

個人的な意見ですが、流派を形成して芸を伝えて行く場合、常にある種の矛盾が生じるのでは無いかと私は考えています。

"芸"を家元が独占して流派の枠組みに押し込める事で、芸能が本来持っている自立性が奪われ、形骸化してしまう事は、根本的な矛盾です。

流派の為に"芸"があるのか、"芸"の為に流派があるのか・・・
この矛盾は、流派という組織を形成する限り、永遠に解消される事はありません。

家元制度の勉強をした事で、自分の中に"流派"という組織に対する疑問が生まれました。

雅楽の中には流派はありません。
韓国の舞踊や中国の舞踊にも"流派"という組織は無いようです。

流派の存在は近代以降の日本の芸道に、良くも悪くも多大なる影響を与えました。
改めて、私はこの時代に芸道に携わる人に対して"流派とは何か?"と問いたいです。

伝統を伝える組織とはどの様な形であるべきなのか。
いつか、私なりの形で表現できる日が来ればと思っています。


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