小獅子の尾

芸術大学の通信教育部に通う20代女子の雑記

【バブル世代と労働】ハードワークは命の切り売り

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最近、相次いで親戚が亡くなっています。
みんな末期癌とか、元々重い持病のある人ばかりですけどね。

つい最近も叔父さんが亡くなりました。
叔母さんと離婚してるから、厳密には叔父さんじゃないんだけど。

50代だったろうか、普通なら亡くなるような年齢では無いです。
色々と持病があった様です。

でも、病気だけが理由で亡くなった訳では無いと思うんです。

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考えてみたら、叔父さんの働き方は病的でした。
叔父さんの働き方を批判する訳では無いですが、朝2~3時には家を出て、深夜まで帰らない生活は常人には勤まらないでしょう。

人生を仕事に全振りしている様な働き方です。
ハードワークを肯定していて、他人にもそれを求めるような所があって、私はあんまり好きじゃなかった。正直ね。

病気になってからも、何かに追われる様に働き続けた。
叔母さんと離婚してからは高級外車を買ったりして、私に対してそんな事では駄目だとか、以前よりも色々な事を言ってくる様になった。

今思うと強がってたのかも知れない。
みじめな自分であってはならない、という気持ちもあったのかも知れない。

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働き続けた叔父さんの最後は、嫁さんと離婚して、子供たちも家を出て、いつも通りに働いて帰宅したその車の中で息を引き取るという物だった。

その時に思った、もっと健康に気を使って、規則正しい生活とバランスの良い食事を取っていたらこんな事にはならなかっただろうに、と。

元々叔父さんは、持病があるのに普通以上に健康に関心が無かった。
関心が無いから病気になったのかも知れない。

ハードワークも確実に彼の寿命を縮めた原因だった。
それでも叔父さんにとって、人生は仕事だったし、人生は仕事で無ければならなかったのだと思う。

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そもそも、他人がどうやって生きようと自由だ。
それでも、バブル世代の人達は、私に健康を害しても会社に尽くして懸命に働くことを押し付ける人が多かった。

そんな事ではいけないらしい。
では、どんな風に生きれば認められて、どんな風に生きれば認められないのか。
なぜ認められなければならないのか?
誰に認められれば立派なのか?

根本的な価値観が違うと思った。
叔父さんは幸せだったのだろうか? 

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現代は戦後でも無ければ、高度経済成長期でもない。
それでも、バブル世代の人達はより良い暮らしを求めるし、他人と比較する事を好む。
教育による違いかも知れない。

バブル世代は不幸な人達だと思う。
どれだけ自分達の時代の倫理を豪語したって時代は元には戻らない。
坂道を転がり落ちるような物だ。

そのままの自分では認められない。
しかし、彼等は誰に認められようとしているのか?

評価を求めて生きるほど虚しい事はないし、人と比較しなければ幸せを表現できないのは不幸である。

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