私はなんだかんだで10年ほど神楽を続けてきた。
恐ろしい事である。
14歳の頃に修験者の方と出会い、それから14年が経った。
色々な事があった。
そういう、血統や派閥の話。
血統の世界
伝統文化の世界というのは、紛れもなく血統の世界だと思う。
私は19歳で某官幣大社の本職となり、その後は郷社で神楽巫女として奉仕し、最終的に神楽座に所属している。
いつまで神楽を続けられるのか、正直解らないけど10代~20代前半の頃は神社関係者から良く「血統が悪い」云々という差別的発言を受けた。
まぁ、特殊な環境だったのもあるけど。
その後、一般で働きながら郷社の巫女として奉仕し、通信制大学に入った頃に判明したのだが、私は「血統が悪い」と言われた神社の別当家の血を引いていたのだ。
別当というのは、つまり神社を掌握していた一族という事で、血統は悪くなかったのだが、今さら知っても意味はない。
とにかく、神社というのは必要以上に血統を見せびらかせて自慢したい世界なのだ。
自分が別当家の末裔だと知って、本当に心底アホらしくなった。
下らない世界である。
大学の派閥
大学に入ってからも、本当に強く派閥を感じる。
大学にあるのは血統ではなく、学閥という派閥である。
人間は本当に群れるのが好きで、仲間がいなければ発言さえできない愚かな人達が過半数を占める。
弱いものほど党閥を組む。
大学の名前を笠に着て自らの優位性を主張する。
教育の場でこのような行為がまかり通るのは愚かな事である。
自分の気に入った物は優遇し、気に入らない物を退ける事で他者を評価した様な気になっているが、自らの研究は未だに大学の名声とはならぬ。
弱いものほど群れるのだ。
私は心の底から彼らを軽蔑している。
研究よりも大学名を重視するのは、その人の研究を理解できるだけの頭がない人間がする事である。
それを理解できない人間が教鞭をふる事に、大きな疑問を感じる。
神社関係者の驕り
所で最近、10代の頃に勤めていた某官幣大社と私の関係がどうも見直されている様である。
神社関係者から、異口同音にその神社の名前を聞くようになった。
"あなたとご縁がある"、と。
アホらしい事である。
彼等は私が別当家の末裔だという事を知らないので、その神社とあなたは"ご縁があるかもしれない"等と言うのだ。
祖先がその神社に仕えていたのだから、私からすれば、その神社と私はご縁があって当然だ。
彼等も、私が別当家の末裔だと知っていたら、そんな発言はしないだろう。
信じられないが、数ある祖先の中のある一族は、その神社で宮司よりも上位にあったのだ。
結局の所、これらの発言は私を神社とは関わりのない"一般人"と認識しているからこそ出てくる言葉だ。
バイアス・・・偏見による物だとしか言えない。
バイアスで人を判断する人達
人間は、その人その物よりも、その人が所属する場所でその人の価値を判断する様である。
人間というよりも、一般的な日本人はと言った方が正確かも知れない。
あまりにも自分の立場を弁えていないでは無いか。
どの人間も、結局の所人間は人間でしかない。
平等を認めない傲慢さを感じるほどに、次第とやる気も無くなってしまう。
どうもそういう人達は始めから色眼鏡をかけているのでは無くて、次第に無色の眼鏡に色が付いてくるらしい。
そして、私もまた徐々に彼等とは接する事すらままならない状態になって来ている。
私の師となる人達は、血縁だけで驕る人達を良くは思わないし、誰かに対して血統がない等の発言をする事はない。
私はそういう派閥に属する人間であって、つまりそう言う事でしかない。
時に、派閥で他者を囲い込もうとする人達がいる。
一体境界線はどこにあるのか。
心底失望してしまう。
ガッカリだ。