小獅子の尾

芸術大学の通信教育部に通う20代女子の雑記

【現代の旧遊郭】大和郡山市の山中楼に行ってきた!



f:id:lihui1992:20190730221036p:plain
奈良県大和郡山市の旧遊郭、山中楼が取り壊される前に内部を公開するとの事で、仕事の帰りに行ってきました。

そもそも、遊郭以前にこの辺りは私の崇敬する源九郎稲荷神社がある地域。
何度も参拝した神社の参道に旧遊郭がある事は知っていましたが、こんなにすぐに取り壊されるとは・・・

大学の卒論の関係で、大和郡山の雛祭も見たかったので、研究としては一石二鳥ですが、もう二度と旧遊郭が見れなくなる寂しさを抱えての見学でした。

f:id:lihui1992:20190730221036p:plain

f:id:lihui1992:20190730221036p:plain

大和郡山市の城下町と旧遊郭

大和郡山には岡と遊郭があるのですが、岡というのは江戸の岡場所と同じなのでしょう、庶民が遊ぶ場所だったそうです。
そして、遊郭は武士が遊ぶ場所だったとか。

日本の伝統芸能を学んでいると、どうしても避けられないのが売春の文化です。

遊女の原型は古代のアソビメー遊女に求められますが、古語の"遊び"とは芸能を意味する言葉です。
遊女に限らず、東アジア全域で芸能者と売春は表裏一体、深く結び付く文化でした。

これは単なる女性軽視という言葉で片付けられる物ではなく、男性であっても芸能者は売春をする事がありました。
男色における稚児としてです。

売春と芸能の関係は、芸能の身分の問題・・・と言うよりも、ひとつの文化として捉えた方が良いでしょう。

そして、それが現在も伝統芸能の軽視や学校教育での扱いづらさへと繋がっています。

f:id:lihui1992:20190730221036p:plain

芸能と売春

古代の女性芸能者には色々な立場がありました。
しかし、女性が行う芸能は、その殆どが売春と宗教祭祀に関連する物でした。

遊女は百太夫を祀るし、白拍子は神仏の本縁を説く。
巫女は祭祀の為に舞を舞う。
このような芸能者は特定の寺社に留まり、神仏に仕える事もありました。
しかし、その一方で、女性芸能者という立場は、売春とも深く結び付いていた。

芸能を学び始めた当初、私は芸能者が売春を行う原因を彼女達の身分に求めようとしました。
しかし、今になって思うのは、その感覚は正しいとは言いがたいという事です。

平安後期には、白拍子女や遊び女は宮中にも出入りし、相応の扱いを受けています。
決して平民以下の賎しい身分の芸能者に対する扱いではありません。

売春に対する感覚も、時代によって変化します。
彼女達の立場を理解するのは、当時とは異なる感覚を持つ私たちにとって難しい事なのでは無いでしょうか。

f:id:lihui1992:20190730221036p:plain

遊郭を保存するという事

大学に入学してから、遊郭という、現代の我々とはかけ離れた世界、そして当時の芸能の一つの中心地でもあった世界を、色々と考える機会が増えました。

まぁ、大学に入学する前から旧遊郭の存在は知っていましたし、源九郎稲荷にも参拝していたのですが・・・。

今回、何度も当然の様に目にしていた旧遊郭が取り壊されるとの事で、大変残念に思う一方で、現在は全く使われていない家を維持し続ける事の苦労も強く感じました。

遊郭を保存しようというのは、ともすれば大きな誤解を産む活動です。
それはある一面では女性軽視の遺物でもあるからです。

その中で、旧遊郭を保存しようという大和郡山市の活動は大変心強い物でもあります。
現存する旧遊郭が、今後も適切に管理される事を願うばかりです。




f:id:lihui1992:20190730221036p:plain