ついに、卒業研究のゼミに参加するまで辿り着きました。
実は去年から辿り着いていたのですが、それはまた別の機会に書こうと思います。
そして、やはり伝統文化コースなので「伝統を伝えたい」系の研究テーマが多かったです。
その中でも多かったのが着物を伝えたい(復活させたい?)と言うもの。
くれぐれも、着物関係の研究を批判する意見では無いです。
でも、ちょっと思う事があったので書いてみようと思います。
- ファッションとしての着物とは?
- ミシン縫いの着物はあり得ない?
- 仕立て直して着る文化
- 現代の文化と産業革命の影響
- 衣服に内在する国籍の曖昧さ
- 生活文化は変化して当たり前
- 作業着・装束の着物
- 日本人の着物離れ
- ファストファッションと着物
- 伝統産業はダサいのか?
ファッションとしての着物とは?
今回のスクーリングでは、研究テーマとして「ファッションとしての着物」を挙げられている方が凄く多かったです。
しかし、話を聞いていると、伝統的な着物文化を伝えたい、着物のルールが云々・・・という話が多く、ファッションとしての着物=カジュアル着物だと思っていた私は面食らいました。
果たしてファッションとしての着物とは・・・??
普段着としての着物を現代人が日常着として着用する為に、どの様に工夫すれば良いのか、というテーマもあり、カジュアル着物に限定した研究テーマもありました。
しかし・・・着物のルールや何やという所が出てくると、ほぼほぼフォーマル着物の話になるのでは無いかなぁというのが私の意見です。
ミシン縫いの着物はあり得ない?
他の学生の研究テーマと概要を聞いていて、「ミシン縫いの着物はあり得ない」、「今はアクセサリーを付けたりしていて、着物のルールがむちゃくちゃ」等の発言がありました。
でも、洋服も本来は全て手縫いで仕立てる物です。
産業革命まではミシンなんて無かった訳ですから、当たり前ですよね。
今も高級品は手縫いで仕上げていますし、手縫い専門の高級な仕立屋もヨーロッパには存在しています。
洋服はミシン仕立ての物ばかり着ているのに、着物はミシンなんてあり得ない!と思う根拠はどこにあるのか・・・そこに疑問を感じました。
仕立て直して着る文化
今回のゼミでは、何度も仕立て直して一着を大切に着る日本の伝統文化という部分もクローズアップされていました。
そして、ひねくれている私は思いました。
でも、それって日本の専売特許では無いですよね?
洋服が好きな方は知っていると思うのですが、フォーマルなドレスやスーツ等々、洋服も仕立て直して何代も受け継ぐ事があります。
何度も仕立て直す前提で、裁断を大きめにして裏を付けるのです。
仕立て直せない洋服は、そもそも安価なオートクチュール(コストダウンの為にギリギリで裁断する)か、量産品です。
産業革命以前はどこの国でも布は高価かつ希少だったので、恐らく衣服を仕立て直して受け継ぐ文化は実は世界中で共通していたと考えられます。
現代の文化と産業革命の影響
こうして考えてみると、産業革命の影響は非常に強く、人類は産業革命以前と以後で全く異なる価値観を享受している事が解ります。
というか、私が解りました 笑
伝統産業というのは産業革命以前から存在する産業なので、ある意味ではこの様な研究は価値のある物だと思います。
衣服に民族の思想を求めるのも面白い視点ですし、私は結構そういう視点が好きです。
ただ、その時に"世界の人々よりも特別な日本人""日本人という優れた民族"という視点が少しでも混じると、もはや研究の意義をなさない事になりかねないとも思います。
衣服に内在する国籍の曖昧さ
世界の民族と日本の民族を比較して、日本は本当に素晴らしい!と思う人はどのくらい居るのでしょうか。
着物の発祥は中国ですよね。
奈良時代の着物は完全に中国のパクり(失礼・・・)ですし、平安時代の十二単も、本来の名称は"唐衣"です。
唐、中国の衣という意味です。
襟を右前にするルールも中国発祥ですし、奈良時代から平安時代にかけても衣服は原型を留めないほど変化しています。
"伝統的な着物のルール"とはどの様な物なのか、歴史的にも大きく変遷しているため、イマイチ定義が良く解りません。
生活文化は変化して当たり前
生活文化である以上、文化は必ず変化して行きます。
伝統文化としてイメージしやすいお茶やお花は、室町時代頃に芸道として確立された物です。
そして、これらの芸道の原型は、戦国時代の終焉と共に再開された貿易によって日本にもたらされ、流行の最先端でもあった中国の文化に求められます。
当時は航海の技術なども相まって、中国や朝鮮半島、ベトナムやフィリピン等、交流できる地域が限られていた為、東アジアには東アジアの文化が確立されました。
当時の人々が現代の日本に居たら・・・伝統的な衣服を何とか残したい!と思う人ばかりではないだろうなぁ、というのが私の意見です。
作業着・装束の着物
最後に、元巫女という立場から着物について語ってみます。
皆さんご存じの様に、神社の職員は毎日着物を着て仕事をしています。
白衣・袴の素材は主に木綿、ウール、麻の三種類です。
袴も同様に、木綿や化繊の物が大半を占めていて、カジュアル着物に用いられる素材とほぼ同じだと言えます。
装束店の多くは巫女や神職の白衣・袴を販売しながら、十二単や直衣の様な歴史装束も製作しています。
着物を残したい!という大きな意思がある場合、やはり着物も二極化する必要があると思うのです。
だって、絹の友禅なんて普段着にはできないですから・・・
日本人の着物離れ
方言の話をしましょう。
方言は"田舎の人が話す言葉"、というイメージが強いですが、元を辿れば、日本に存在する各民族の言葉という捉え方もできる不思議な概念です。
日本は名実ともに統一され、正式な言葉から順に、方言は失われて来ている様です。
そして、言葉が失われる背景には当然ながら、メリットとデメリットが混在しています。
衣服に関しても同じです。
ただ、言語と異なる点は、普段着から失われて行くという点です。
今も日本には数多くの礼装としての着物が残っています。
伝統的な着物のルールを守った礼装を残そうとするその意思は、一方では皮肉ですが、着物文化の衰退を前提とする物なのかも知れません。
ファストファッションと着物
現在の日本の繊維産業の主流でもある、アパレルの最大手は少し前にユニクロからしまむらになりました。
でも、ユニクロやしまむらは日本を代表するファッションだと胸を張って言えるでしょうか?
言っておきますが、ユニクロやしまむらを馬鹿にしてる訳じゃないですよ・・・!
私は、一般に受け入れられる、普段着として着たい衣服と、理想的な衣服は違うと思っています。
ユニクロやしまむらはデザインが良く、高品質で素晴らしい縫製だから着る・・・という訳ではなく、日常着として着やすいから衣服だからこそ受け入れられているのだと思います。
では着物はどうでしょうか?
今はデザイナーズブランドばかりが出回っている様な状況だと思います。
伝統産業はダサいのか?
日本人が着物から離れたのか、それとも着物が日本人から離れたのか・・・私は呉服業界には詳しくはありませんが・・・
今時の若い女の子でも、夏には喜んで浴衣を着ますし、成人式の振袖も一大イベントです。
私は個人的に、今時の若い日本の人達が、着物なんかダッセ~と思って着物から離れている訳では無いと感じています。
着物って気付けが大変なんでしょ?
物凄い金額の反物を売り付けられる。
伝統文化の習い事って、上下関係が厳しくてお金ばかり取られるんでしょ?
誰もが耳にした事のある意見だと思います。
伝統が日本人から離れたのか、日本人が伝統から離れたのか・・・?
伝統文化を学ぶほどに、現在の"伝統"が歴史的な日本人の価値観から離れている様な気がしてなりません。