ボチボチ梅の花が咲いていました。
奈良時代以前のお花見では、桜ではなく梅を観賞していたそうですね。
突然現代の話に戻りますが、お花見の季節に中国の方が桜の枝を折った、という話は何故か有名ですね。
この話を引き合いに、東洋には元々花の枝を折る文化がある事を大学で習いました。
枝を折る文化
桜狩りや紅葉狩り等の言葉は、桜や紅葉の枝を折ることに由来するのだそうです。
少し前に過ぎた桃の節句でも「お花を生けましょ桃の花~」と童謡にもある様に、桃の花の枝を折って雛壇に飾ります。
一体なぜ桃の花を生けるのでしょうか。
桃の節句だからと答えた方、正解です。
でも、花を生ける理由はそれだけではありません。
東洋全体なのか、日本だけなのかは解りませんが、少なくとも日本では花の枝には神や、あるいはそれに近い清らかな霊が宿ると考えられていました。
中国で言う所の道の様な物でしょうか。
特に常盤木、すなわち、一年中枯れずに青い葉を見せる杉や竹、松、榊等は神前にて神の宿る"依り代"として用いられて来ました。
特に、天に向かって真っ直ぐに伸びる樹木に神が宿るとする考えがあり、華道では中心に配置する真っ直ぐな枝を"シンの枝"と称して特別視しています。
流派によって漢字は違う様ですが、シンの枝のシンとは神を意味しているのです。
日本語の"かんざし"の語源は、平安時代頃貴族たちが冠に花の枝を挿して"かざし"と称していた事に由来すると言われています。
身体の中でも最も上部に位置する冠に花を挿す事には、宗教的な意味があると言われています。
つまり、花あるいは紅葉等の植物が、本来持っている神秘的な力を自らも得ようとする行為だと考えられています。
この様な説には根拠を見つける事が難しく、どこまでが本当なのか私には解りませんが、少なくともその様な文化があった事は事実でしょう。
現代のかんざし
あまり目にする機会は無いかも知れませんが、現在でも日本人は頭頂付近に花を挿す事があります。
例えば、舞妓さんの花かんざし。
本物の花ではなく、ちりめん細工の花ですが、季節の花を髪に挿す事には違いありません。
更に、十二単等を着る際に頭部に付ける釵子(さいし)にも花が付いている事があります。
現代では十二単を着用する際に花を付けているのを見掛ける事は無いですが、女子神職さんが祭礼で花を付けた釵子を使っている事があります。
女性の神職さんは人数も少ないですし、男性の狩衣を着用されている事も多いので、釵子は神社でもなかなか見掛けないですが・・・
神社の巫女さんが神楽を舞う際に頭部に付ける"前天冠"にも花が付けられています。
男性の場合、現代ではかなり珍しいですが、有名な祭礼では神職の方が冠に桜や菊等の花を挿している場面を時々見掛けます。
改めて考えてみると、山中に自生する植物が自然に色付く様はとても神秘的です。
山自体にも宗教的な意味がありますから、現代でも植物には神秘的な力があるのかも知れません。
そう考えてみると、毎年訪れるお花見のシーズンも幻想的に思えて来ます。