小獅子の尾

芸術大学の通信教育部に通う20代女子の雑記

【神道霊学】宮司さんから聞いた天命・運命と念の話

天命・運命 と念

「天のまさに大任をこの人に降さんとするや、
必ず先ずその心志を苦しめ、
その筋骨を労せしめ、
その体膚を餓えしめ、
その身を空乏にし、
行うところその為さんとする所に払乱せしむ。」

これは『孟子』の中でも良く引用される、有名な文章です。

大まかな意味は、天が人に大任を与えようとするとき、天はその人を苦しませて、大任を負うに値する人間に育てようとする、という物です。

さて、私が神社でお世話になっていた恩師は、何度も何度も、私が理解するまで次のような事を教えて下さいました。

「ご神意があると思ったなら、全てを投げ捨ててでもそれをしなさい。人間は神に逆らってはならない、でも、神の様に見える別の物に惑わされてもいけない。」

「信仰するに値する物かどうか、良く見極めなさい。良く見極めて信仰すると決めたなら、全てを捨ててでも神様の事をしなさい。」

新興宗教みたいに聞こえるかも知れへんけど、新興宗教ではみんな教祖さんを信仰してる。人間を信仰したらあかん、神様だけを信仰しなさい。」

「念という物があるんや。念には良い念と悪い念がある。
失敗しろ、失敗しろと思って念を飛ばすと本当にその人が失敗したりする。
でも、それは念を飛ばした人の生き霊が相手に乗り移ってるだけなんや。
生き霊は自分の魂やから、いつかは自分の元に返ってくる。
念を飛ばされた方はその時だけでなんとも無いけど、念を飛ばした方は自分の魂からは逃げられへん。
だから、何があっても悪い念を飛ばしたらアカン。」

本職の巫女になる時、奈良県某所の尼さんからも同じ様な事を言われ、身が引き締まるような気持ちになった事を覚えています。

とても女性らしい方で、文面に起こすと口調の優しさや精神的な強さが感じられませんが、おおむね次のような事を仰いました。

「あら、あなたは本職になるべきよ。期間の問題じゃないの。あなたならきっと大丈夫。」

「何があっても決して恨む心を持っては駄目よ。心が不幸になってしまったら、幸せになっても解らなくなるもの。」

「信じて貰えないかも知れないけど、人の人生は幸福と不幸がプラマイ0になるようになってるの。大きな不幸の後には必ず同等の幸せが訪れるから、決して恨みを持ってはだめよ。」

自分の人生について思うこと

さて、本職の巫女を退職してから、色々な事がありました。

軽犯罪(ストーカー)のターゲットにされて警察のお世話になり、騙されて弁護士のお世話になり、労働問題で労働局のお世話になり・・・これまでの人生では考えられない程色々なトラブルに巻き込まれました。

これらの問題は全て解決しないまま現在まで続いています。

私は神前で、神楽が意図的に改変されて行く様を何度も見てきました。

その中で、神様が神楽の研究をする事を求めているのではないか、と思う様な出来事が何度かあり、大学に入学して本格的に舞踊を学ぶことを決めました。

私は天に、神楽を復興させる為の大任を与えられていたら良いのになぁ、と思います。

しかし、2~3年の間に警察・弁護士・労働局のお世話になる程の苦しみが、もしも本当に天の意思だったなら、正直やり過ぎだと思います。

辛い事は沢山あったけど、結局全て解決せず・・・しかし、私を不当に痛め付けた人達は、結局神社でも会社でもダメになって行っています。

不正をする人は元々の性格がそうなので、上手く隠せても結局、何かしらの悪いことがバレてしまうみたいです。

私は神様の為に全てを投げ出す覚悟でしたが、結局は自然と全てが駄目になっていて、気付いたら手元には何も残っていませんでした(笑)

これから何処へ行くのか、どこまで行けるのか解りません。

自分の選択に対しての後悔はありません。

今後、本当にどうなるのか、生活保護まで堕落するのか、もう何も解りません。

解りませんが、とりあえず暫くは生きてみようと思います。

犯罪を犯してでも人を陥れたい人や、他者を利用して成り上がりたい人・・・世の中には下衆な人間が居るものですね・・・

母親風に九州の方言を使って一言で言うと、"好かんっちゃ"という事です。