面倒臭い質問
最近、雅楽について質問を受けて、その中で「格式が高いんですか?」という事を聞かれ、返答に困ってしまいました。
雅楽をやっている人間が、雅楽は格式の高い音楽ですってねぇ、そんな・・・言えんだろ 笑
本当に返答に困る質問で、だから神社とか雅楽の話はしたくないんだと思ったけど後の祭り。
仕方がないので、格式は高いですって答えておいた。
だって宮中で演奏している音楽を教えて貰っているんだもの、口が裂けても雅楽を乏すことはできない。
先生だって音楽への敬意を持って演奏しているのだから、私も音楽を貶す様なことは言えない。
音楽への敬意というのは、経験のある人にしか解らないと思う。
芸能への敬意
笛を吹くために歯を抜いたり、舞を舞うために仕事を失ったり、それは経験の無い人には解らない事だと思う。
音楽や芸能の格式の高さを認めることと、自らを格式の高い人間だと思うことは違う。
たぶん、先生も私も音楽に一定の人格を与えているのだと思う。
それを、他の人は歪曲して捉えてしまう。
音楽を人間の付属品の様に考えてしまう。
先生の弟子は、人間に対するように音楽に対して敬意を払う様に、まぁこれは教えられている訳じゃないけど無言の内に段々と音楽に対する敬意を教わる様になる。
でも、一方外に出たら、音楽に人格を与えて、敬意を払う人なんて殆どいない。
凄くさみしい事だなぁと思って、悲しくなりました。
血脈と思想
私たちは音楽や舞を習うとき、ただ単に技術を学ぶのではない。
芸能には血脈(けちみゃく)という物があって、それぞれの系譜がある。
芸を習うのは、その背景にある思想を習うのと道義です。
それは、理論として教えられる訳ではなく、芸がひとつの思想なのです。
芸能は私にすべてを教えてくれました。
でも、どうしても他の人には伝わらない概念でもある。
時々、私は自分と他人の距離感を感じます。
世の中には、言葉で説明すれば理解し合えると思っている人もいるけど、決してそうではないと思う。
体験した事がないのに理解できる人などいません。
想像できる人が、ごく一部に存在するだけです。
まぁ、これは質問内容がそもそもおかしいんだけどね。
音楽を格式で計ろうとするとはね。
失礼な奴。