去年ごろからなるべく色々な人に会ってみよう病を発症して、まぁ時間のある時に人に会っていたのですが、やっぱり誰かと一緒にいると疲れるなぁと思いました。
本来は、トラウマの対処法として人と会うようにしていたのですが、段々解ってきたのでちょっと文章にしてみようと思います。
人と一緒に居ると疲れる理由
人と会うと疲れますよね。
世の中には、話を聞いて貰ってスッキリした☆みたいなタイプも存在する様ですが、私なんかは人と話をするほど気分が悪くなります。
病気ですね。
そもそも、なんで疲れたり、気分が悪くなるのかを考えてみると、結局相手と私に大きな隔たりがあるからだという事に気が付きました。
学生の頃にも同じ事を感じていた気がしますが、人間は自分に都合の悪い事は忘れる生き物なので、忘れていたらしいです。
あまりにも価値観が違う!あまりにも生育環境が違う!あまりにも感覚が違う!
価値観や感覚が違うので、私の発した言葉を言葉通りに受け取ってくれる人は殆ど居ません。
だから疲れるんです。
誰かとコミュニケーションを取ると、大抵の場合は誰かが"私のために"何かをしてくれます。
でも、私はそんな物は求めてないんです。
独りよがりに何かを提供してきて、独りよがりに私をコントロールし、私の行動範囲に干渉されます。
だから私は人と一緒に居るのが苦手なんだ。
相手が何を考えているのか解らないのは当たり前
私は人間関係の中で、良く言われる言葉があります。
「思っていたのと性格が違った。」
「あなたの事が解らなくなった。」
「何を考えているのか解らない。」
これらは、全て同じ感覚から来る言葉だと思います。
他者からすると私は物凄くミステリアスみたいです。
黒髪の和顔なので、コーラを飲むだけでビックリされる様です(根に持つ)
こんな風に言われたら、自分の事を教えてあげないとダメみたいじゃないですか。
でも、どれだけ言葉にしても、相手は私の事なんて理解できない訳です。
前回の記事を参照です。
もっと言えば、私だってあなたの事なんか解らないよって話なんですよ。
相手の事なんか解らなくて当然なんです。
それでも、そんな風に言われるとまるで理解されていない私が悪いみたいに感じます。
なぜ解らないと思われるのか
実は、この問題は昔からずっと私の中に眠り続ける問題でした。
きっと今後も変わらないと思います。
しかも、全部同性の友達から言われたのに、恋愛関係を拗らせたみたいな文面でなかなか何とも言えんです。
私は長らく、"相手に理解されなくてはならない"という固定観念から抜け出せずにいました。
だって、みんなから解らないって言われるんだもの。
そんな中で、今回色々な人と出会った事を切っ掛けに、ちょっと人間関係について色々と深く考えてみて、相手の考えてる事が解らないって、それって当たり前の事じゃないか!という事に気が付きました。
どうも、私の周囲の人達は仲良くなるにつれて私の事をより理解したいと思う様になるみたいです。
そこで、私のキャラクターを一般論に当て嵌めてみますが、どうも違う。
そんな所から来る発言じゃないかと思います。
友達と一緒じゃないのは普通
きっと、誰の中にも、"人と仲良くするのは良い事だ"という刷り込みがあります。
仲睦まじく、全てをさらけ出せる関係が一番良い関係なのだと思う人は世の中に一定数居ると思います。
しかし、それは一つの物の見方でしかありません。
私は、何だろうか。
誰かと一緒に居ると、色々と強要される事が多いです。
あなたの事が解らないだとか、色々な理由で束縛したい人も多いです。
いつもいつも、私は誰かと一緒にいる時は何かを我慢しています。
そして、だからこそ相手は距離を感じて"解らない"だとか言ってくる訳です。
もう疲れました。
でも、色々考えてみて思いました。
一人でいる事は悪い事じゃないし、相手が私を理解できないのは私の責任では無い。
もっと自由になって良いのです、そんな所です。