小獅子の尾

芸術大学の通信教育部に通う20代女子の雑記

日本文化が閉鎖的になった理由ー考古学を履修しました


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最近、新たに考古学を履修しました。
縄文~古墳時代について学んでいます。

わたしの朧気な記憶では、小学校の頃に学んだ古代史というのは、縄文➡️弥生(クニの成立)➡️???➡️奈良時代という印象だったのですが、弥生から奈良時代までの間の期間は"古墳時代"に分類されるみたいですね。

我が家は近畿の田舎なので、その辺に死ぬほど古墳があります。

近所にもお堀が釣り堀と化した古墳があり、お墓で釣りをするという考えの浅さや、ブラックバスが自然環境に与える弊害を考えたりするのですが・・・

漠然と考えていたより限られた期間に"古墳"が作られていて、そこから様々な文化の痕跡が出土している事に、感慨深い気分になりました。

ブラックバス釣ってる所の騒ぎじゃないですよ。

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古代史の定説は変わるという事実

古代史あるあるで、私が子供の頃から書籍で読んだ事のある話ですが、古代史って結局史料が少なくて良く解らないんですよ。

だから、定説がひっくり返る事が良くあると。

今回、大学で学んでいる中でも、縄文時代には人々が定住していた事が当然の様に説明されており、ちょっとした衝撃を受けました。

だって、レキシの歌では"場所に飽きたらすぐに立ち去る"ってあるから・・・という言い訳はさておき、確かに土器が出土するという事は、移動がある程度落ち着いている証拠でもある訳ですよね。

土器で煮炊きする=火を使っていた事も予測されている訳ですから、古代の中では結構進んだ文化を有していたと。

稲作よりも早くに定住していた事は、古代史においては特徴的な出来事だったみたいです。
へぇ~って感じですね。

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限られた生活圏を形成する自然環境

日本には豊かな自然があります、と言うと何だか胡散臭くて、外国にも豊かな自然があるよ!と言いたくなる訳ですが 笑

しかし、日本にも豊かな自然があります。
日本列島は縦に長く、地域によって気候の差があります。

立地的に本来の緯度から来る気候よりも均質化されているそうですが、それでも地域によって気候に差があります。

更に山が多く、必然的に斜面が多い。
更に、そこから海に向かって流れる川も多い。
自然環境としては他の地域よりも雨が多く、湿度の高い温暖な環境にあり、生息する生物の種類が多い。

日本列島にはそんな特徴があるそうです。

斜面が多い日本では居住できる地域が必然的に限られており、生息する生物も多様ですが種類毎の数は少ない。

そんな訳で、人々は多様な植物や生物を少量ずつ利用しながら生活していたそうです。
それがリスクの回避にもなっていた可能性が高いとの事でした。


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閉鎖的な文化が産まれる原因

日本人には少なからず"狭い島国"という概念がありますが、実は日本はヨーロッパのどの国よりも国土が広い。

しかし、"狭い島国"という言葉に匹敵するような閉塞的な空気がある事も事実です。
私はずっと、なぜ日本には閉塞的な文化が存在するのか不思議に思っていました。

実際に日本文化の萌芽が見えるのは弥生時代からですが、稲作の成立以前から限られた地域に村落が存在していた事は、ある意味では私の長年に渡る疑問に対する回答になり得るのでは無いかと思います。

何故なら、他の地域には見られないほど、長年に渡り同じ村落に人が住み続けているという事実があったからです。

更に、時代が下ると共に生活が安定し、村落の平和を維持するために、出身地によって異なる場所の歯を抜く等の儀礼が生まれます。
他国の部族なんかにも良くある文化ですね。

この様な出生地による差別化は地代と共に広まり、宗教(葬送儀礼)等の分野に取り込まれる様になります。

ある意味では、日本人の根底にある"血縁"の文化は、より原始的な文化の名残として考える事ができると私は感じました。


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日本文化の成立

既に縄文時代から外来文化からの影響はあった様ですが、弥生時代にはそれが更に加速し、文字や法が伝えられ、日本に統一国家が成立します。

中国には誰もが知っているように悠久の歴史があり、私も世界史で学び、長すぎて紀元を超えられない問題があった訳ですが・・・

この頃には既に国家と法律が成立しており、それが伝来した事で日本にも統一国家が成立した訳ですね。
気の遠くなる様な話です。

弥生時代の国家については、私が現役の学生だった頃は殆ど習わなかった記憶がありますが、記録としては少ない物の今も史料として残っている様です。

弥生時代の文化の中枢は現在の北部九州にありましたが、古墳時代には現在の近畿へ移動しています。

文化の中枢が移動した理由は戦争による物だと仮定されており、そのような記述が『魏志倭人伝』にも記載されています。


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本州とは異なる文化圏

日本の農耕は主に朝鮮半島から伝来した物で、朝鮮半島の様式に習っています。

古代の日本は、文化的にも統一された唯一の国家だった訳ではなく、文化的には北、中、南に分類されていました。

テキストには、この文化的な断絶は明治維新まで続いたと印されていましたが、確かに明治維新以降に学校教育が成立し、"標準語"が制定された事により文化の均質化が進められた側面はあります。

この様に異なる文化の中でも、"朝鮮半島式の農耕"が本州で実践されていた事は事実ですが、異質な例として、沖縄の農耕文化があります。

沖縄には、本州で一般的に認知されている"日本文化"とは異なる琉球王国の文化が存在することは皆さんご存知だと思いますが、実は農耕のルーツ関しても本州とは異なる様です。

沖縄では家畜の力を利用した耕作がある様で、どうもそのルーツは東南アジアにあるとの事。
沖縄は古くより広い地域と交流を持っていたそうです。

そんな所で、今日は首里城全焼のニュースに想いをはせて終わろうと思います。

ショックな事件でしたが、本屋さんで燃える首里城の写真と共に募金箱が設置されており、見るに耐えない気持ちになりました。

過去を破壊して均質化を計るのは良いことなのか、悪いことなのか、沖縄の歴史を思うと何とも言えない気持ちになりますね。

では!

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