小獅子の尾

芸術大学の通信教育部に通う20代女子の雑記

【戦時中の生活】農家の長男が敗戦を経験した話

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今週のお題「おじいちゃん・おばあちゃん」

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今は亡き祖父の話

はてなブログ今週のお題はおじいちゃん・おばあちゃんらしいので、今は亡きお爺ちゃんが敗戦を経験するまでの話を書こうと思う。

なんだろうなぁ、祖父から聞く戦争の話はテレビや学校で教えられる戦時中の話とは全然違っていて、やっぱり色々と立場の違いもあるとは思うんですけど。

みんなどんどん亡くなって行くので、この辺で書き留めてみようと思います。

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田舎っぺ大将として育つ

祖父は田舎の農家の長男坊でした。

戦時中と聞くと悲壮な感じがしますが、農家は食べ物は確保されていて、戦中・戦後のインフラで買い物は芋と商品の物々交換だったらしいので、農家は苦労が少なかった様です。

尋常小学校を出て働く人が多いなかで、祖父は尋常高等小学校まで進学しました。

生まれは農家、育ちも農家、友達もみんな農家、農家に囲まれて祖父は悠々自適に育ちました。

小学校の帰り道は先生もいないので、夏場はアイスクリーム、冬場はポン菓子を買って食べながら帰る。
鉛筆もちょっと短くなったらすぐに買い換える。

芋なんかその辺にあるんやから、なんぼでも買えたそうです。
何にも思て無かったそうです。
現代に置き換えたら、なかなかの問題児ですね。

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ボールペンの爆弾とアホな先生

当時の農村にはボールペンが大量に落ちていたそうです。
当時のボールペンはノック式じゃなくてキャップ式。
万年筆みたいな形のボールペンが、畑や道に大量に落ちていた。

そのボールペンについて、毎日学校で拾うなと注意されたそうな。

ボールペン型の小型爆弾だったんですね。
キャップを開けることで爆発する仕組みだったそうです。
それを、戦闘機がばら蒔きに来ると。

祖父は学校の先生があまりにも毎日言うから、「俺はずっと不思議やった」そうです。
「いくら子供でも、開けたら爆発して死ぬって解ってんのに開けるやつがおるか?なんぼ子供でもそんなこと解ってんねんから誰も明けへんやんな。そねんに毎日毎日言うても仕方ないのになぁ、と思てなあや」って言うてました。

先生も子供が忘れてないか心配だったのでしょう、まさか心配している子供に「先生してても頭はアホやな」と思われてたとは想像もしなかった事でしょう・・・
同情に価します、本当に。

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鉛筆の短い子

当時の祖父は農家に囲まれて、戦時中なのに生活に困っている人がいる事を知らなかったらしい。
どんなボンボンやねんって感じですけど、子供ですからねぇ。

クラスの中に、短い鉛筆ばかり使っている子がいて、いつもなんでそんな短い鉛筆ばかり使うのか不思議に思っていて、ある日「お前なんでそんな小さい鉛筆ばっかり使ってんねん?書きにくないんか?俺のようけあるから使えよ」と声をかけたそうな。

そしたら、その子は「え?ええの?ホンマに?」と言ってすごく喜んだらしい。

その時、祖父は人生で初めて、短い鉛筆を使っている子は新しい鉛筆が無いから短い鉛筆を使っているんだと気づいて、衝撃を受けたそうです。

それから、ずっと鉛筆をやろうかと思って何度も声を掛けようと思ったけど、上から目線で施しをする様で気が引けて、結局その後は一度も声を掛けられなかったそうです。

生前はあんなに気が強かったのに、そこは弱気。
ちなみに鉛筆はじゃがいも二個、さつまいもなら一個で一本と交換してたそうです。

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B29の見学とはじめてのチョコレート

その後日本は終戦をむかえ、GHQ占領下の大阪でB29が墜落するニュースが流れる。
祖父は学校を休んで曾祖母(祖父の母)と電車にのって野次馬に行く。

学校を休んで事故の見学って、今だったら問題行動ですけどねぇ、戦時中は特に問題じゃ無かったらしいですねぇ・・・

大きな飛行機が墜落していて、奥の方からアメリカ人の女が出てきたそうです。
そこで祖父は大きな衝撃を受けた。

パイロットが女!
日本では男だけが戦っていたのに、アメリカでは女も戦っていた、しかもパイロットになって戦闘機を操縦していたなんて・・・!
これでは日本が負けたのも仕方がない・・・と思ったそうです。

ちなみに、祖母(祖父の妻)いわく奥から出てきたのは戦闘機で日本を旅行していた軍関係者で軍人じゃなかったそうですけど、その辺は私も良く解らんけども。

とにかく、そのアメリカ人の女(二人)がチョコレートを持ってきたと。
「その頃はアメリカは敵やさかいに、はじめは俺らもは毒入りや思て食べへんかってんけど、その女が食べて見せるさかいに俺らも食べたんや。そしたらなぁ、こんな美味しいものがこの世にあるんか言うようなもんやで」だそうです。

そんな祖父は甘味の誘惑に溺れ、晩年はバリバリの糖尿病患者として幸せに暮らしました。

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戦時中も多様性があるよね

楽しく過ごしていた訳ではないと思うけど、なんか戦時中の日本人は皆貧困に苦しんでいて、蟹工船みたいな感じで働いていた、みたいな捉え方に私は何となく違和感を感じます。

祖父母の話から聞く戦中・戦後と、メディアの戦中・戦後のエピソードは随分違う。

例えば、令和時代の私たちに多様性があり、豊かな人も困窮している人もいるのと同じで、戦中・戦後の時代も立場によって全然違う生活があったのだと思う。

それは、ある意味で個人史の領域なんじゃないかとも思う。
そんな中で、祖父の戦中・戦後のしょうもない話を公開してみました。

気楽な体験談ですよ。
あまりにも気楽で、かえってリアリティーがあると思いませんか。

糞ジジ・・・ゴホン、ゴホン。
お爺ちゃんらしいエピソードでね。
よいと思います。

なお、ボールペン型爆弾については調べても情報がありません。

うちの村は上下に別れていて、祖父いわく、上の村でボールペン型爆弾を開けた家が二軒燃えたらしいのですが・・・

なにか知っている人がいたら気軽にコメントくださいませ。

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