小獅子の尾

芸術大学の通信教育部に通う20代女子の雑記

【農業と伝統文化】田舎の高齢者と農家の現実


こんにちは。
我が家は最寄り駅から車で30分、田舎暮らしの通信制大学生です。

今日は農家の現実と農業と伝統文化の関わりについてブログを書いて行きたいと思います。

我が家の畑は耕作遺棄地

※写真右奥が耕作遺棄地

我が家は、江戸時代の終わりから続く地方の農家で、ほんの3~4年前まで祖母が農業を営んでいました。

しかし、3年ほど前に日陰の原因となる木枝を鉈で切り払おうとした際に木に登っていた祖母が落下、裂骨折をしてICUに運ばれたのでした。

祖母はそのまま息を引き・・・取らずに回復しましたが、背骨にボルトを埋め込んだため、車の運転ができず、我が家の畑は耕作遺棄地になりました。

その頃、私はブラック企業で1日に10時間~11時間働いていた為、気にも留めていませんでしたが、ある日ふと畑の方を歩くと荒れた田畑がなんと多い事・・・

祖母を含め、病気やパートナーとの離別等の理由で離農する農家が想像以上に多く、田畑は荒廃して原型を留めていませんでした。

近隣の田畑を管理する農家も高齢化が進み、農道やなんやの管理ができず、荒れた田畑が増えた事で獣害も増え、年々離農する農家が増えている様です。

新規就農にはお金が掛かる

就農する為にはお金が必要です。
農家以外にはあまり伝わらないのですが、重機一台で1000万近く掛かるのです。

そして、重機は当然目的に合わせて何台も必要です。
もっとも、全て手作業で行うならば必要ありませんが、手作業では手間と賃金が釣り合いません。

初期投資を回収する為には、大量の農作物を収穫する必要がありますが、その為には広大な土地が必要です。

現実問題として、農家以外の人が新規就農するのは難しく、農業を通じて育まれた村落のコミュニティに地元以外の人間が入り込むのも困難です。

地元の子供達は進学・就職で地域を離れ、もはや田畑を継承し、耕作して行く人が存在しません。

職業としての農業

亡くなった祖父がよく、農業を生業にしてはいけないと言っていました。

農家の収益は毎月発生するお給料や企業の売上の様な物ではなく、限られた収穫期に数ヶ月分の収益が一度に発生する、という物です。

農作物は人為だけで管理できる物ではありませんから、天災が重なるだけで収益は0どころか、簡単にマイナスになってしまいます。

肥料や種は高価な物ではありませんが、専業で農業をする場合は大量に購入する為、まとまった金額になります。

天災によって作物がダメになった場合、労働力と畑に使った経費が全てマイナスになると共に、数ヶ月間の生活費もマイナスになります。
天災が続けば農家は生活する事ができないのです。

同じ食品の生産ならば工場で働いた方が、努力に見あった収入を得られるというのが祖父の持論でした。

農業と日本文化

我が家の畑のすぐ近くに、華道用の松を栽培している畑がありました。

この松は通常の物よりも小さな品種で、高値で売買されている為、昔は日頃から畑はきれいに手入れされていました。
しかし、現在は離農されたらしく畑が随分荒れています。

華道や茶道等に用いられる花や茶は農家が生産している為、農業と伝統文化には元来深い結び付きがあります。

伝統文化を守ろうとする民間の活動は時折目にする事がありますが、農家を支援しようとする民間の活動は殆どありません。

本来、茶道・華道の様な芸道は、農業と密接な関係にありますが、現在の華道・茶道には農作物を用いた芸であるという意識が薄く、農業への関心も高くは無いです。

現状として、失われ行く農業の復興は、伝統文化の復興よりも難しい立場にあると言えます。

桂離宮の池と稲作

桂離宮の池をご存知でしょうか?
日本庭園の多くは池を有していますが、桂離宮にも大きな池があります。

奈良時代頃の文献には、庭園に池を造営していた事を示す記述があり、日本庭園と水の関わりは非常に古い物です。

庭園を有する貴族の邸宅は、都を一瞥できる山手に造営されていました。
高所にある庭園の池は、干ばつ時には都に放たれ、農業用水として用いられていたそうです。

古い時代には保存のできる米や穀物等の食糧の有無が国の存続と関係していましたから、権力者の多くは農業を重要視していました。
庭園の水が農業用水として用いられていたのは、この為です。

日本神話のひとつ『日向国風土記』の天孫降臨のシーンでは、天孫が「人々は食べ物を奪い合う為に戦っている」と発言しています。

神話の時代から、国家の存続と食糧の問題は結び付けて考えられていたのです。

そもそも、農業は生活と直接的な関わりを持つ営みであり、農業から生まれた思想は日本文化に多大な影響を与えています。

多様な文化の中でも、特に米と稲作に対する信仰は日本の精神文化の中枢と言って良いでしょう。

農業に関わろうと思う

我が家には、農業を代々の家業にすると考えていたらしいご先祖様から受け継いだ広い土地があります。

現在は耕作遺棄地となり荒れ果てていますが、私にも簡単な作物を栽培する事ができます。

一方では地域の文化が廃れていく事に目を瞑りながら、一方では大学で日本文化の勉強をする事は、机上の論弁に近い物があります。

文化とはある一定の生活様式の事であり、その生活様式とは一般的に仕事の中から産み出される物だからです。

耕作民が植物性の布を織るのに対して、遊牧民は羊毛を用いた布を織ります。
古代の生活と仕事は密接な関係にあり、切り離せる物ではありません。

生活と仕事の中から文化が産まれ、民族のアイデンティティーが形成されています。
これはどこの国でも殆ど同じです。

東洋では自然の営みを哲学として捉えています。
季節の移り変わりは、暦と道の原型なのです。

私は農業をする事で、もう一度文化という一種の学問に関わりたいと思っています。



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