小獅子の尾

芸術大学の通信教育部に通う20代女子の雑記

【通信制・芸大】東洋の芸術理論のレポートを晒す

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盗用すると除籍処分になるから悪用しないでね。

(1)臥游(臥以游之)について

 臥游とは、『画山水序』を著した劉宗時代の隠者、宗炳に由来する概念である。
宗炳は琴の演奏と書を得意とする隠者で、五岳を始めとする数多くの名山に登っていた事が知られている。
家族と縁を切って同行の士とともに五岳名山に遊び、後の末路は解らないと伝えられる隠者、向長のような人生を歩むことを宗炳は願っていたが、志半ばで病気にかかり江陵へと戻る事となる。
 宗炳の著作、『画山水序』はこの時に記されたと考えられる文献である。
この文献には「臥以游之」という記述があるが、これは横になったまま巡り歩こう、という意味で、この様な宗炳の山水画に対する鑑賞態度を「臥游」と言い、後世の山水画鑑賞の基調となった。
 宗炳は隠者である一方で仏教の居士でもあった。
宗炳の仏教への信仰は『画山水序』においては、臥游という概念の提案に現れている。
絵画を通じて精神を解放しようとする臥游は、単なる絵画であった山水画に精神的な一面を与えたと考えられるのである。

(2)書画同源について

 『歴代名画記』の中で張彦遠は、絵画は物体の形象をただ写し取るだけではなく、形を超えた気韻や骨気が重要であると説く。
彼は絵画の中に表れる骨気と形似は画家の心の働きに基づくとした上で、最終的には筆づかいが問題であると結論付け、古の絵画の名手は書道が得意である事が多い事に言及している。
これは、書画同源に通じる考え方である。
 書画同源とは、張彦遠の著作『歴代名画記』の中で提唱される概念である。
張彦遠は、象形文字が書でもあり画でもある事、天から与えられた人間の文字文化の起源とされる河図洛書が図であり書であった事から、『歴代名画記』の中で書と画が同源である事を強調する。
 中国文化史において、書は儒教経書である『周礼』の中で君子の学ぶべき六つの芸として数えられているが、絵画は書と同じく芸術ではあるものの、当時の中国では君子が行うべき物とは考えられていなかった。
張彦遠が主張した書画同源という概念は、絵画あるいは画家の社会的地位を向上させ、宋代の士大夫画、文人画の成立に大きな影響を与えた。

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(1)『論語』における芸術論

 中国では前漢の時代に、西周の時代を理想として道徳的な社会を作り上げようとする儒教が国家統治の原理として定められ、四書五経と呼ばれる九冊の文献が経典とされた。
四書の内のひとつである『論語』には孔子の言行録であるが、この中で孔子は芸術理論として社会や道徳と芸術の関係性を述べている。
 『論語』の中で孔子は特に詩に着目し、詩が持つ効用の及ぶ範囲を個人から政治、社会のレベルまで幅広く認めた上で、詩はそれが詠じられる社会の風俗を写す鏡であるとしている。
論語』では詩と同様に楽についての記述も多く、楽すなわち音楽とは確立した自己を完成させる存在として取り上げられている。
 詩や楽の様に『論語』の中で展開される芸術論の共通点は、芸術そのものの価値よりも芸術と社会や政治の関係性、そして芸術の持つ自己修養という性格が強調されている点である。
芸術と社会や政治の関係、そして自己修養あるいは精神を育む物とする東洋芸術の性格はこの時代に確立された物と考えられる。
 『論語』では、楽は詩から礼を経て確立した自己を完成させる存在として語られる。
儒教おける礼とは、社会的秩序ならびに個人的行為の伝統的規範を意味する。
礼とは礼儀や作法の事であり、また同時に儀礼を意味する言葉でもある。
どちらにしても、礼には定められた秩序を守るという意味があるが、孔子は礼について『論語』で次のように述べている。
「子曰、人而不仁、如礼何。人不仁、如楽何。※1」
ここで孔子は礼や楽の根底には仁が無ければならないと説くのである。

(2)儒学における仁と東洋の芸術論

 孔子によって『論語』の中で語られる政治的主張は、道徳的な社会の実現を目標としている。
孔子一派による哲学体系を含む、政治的な主張を儒教と呼び、特に学術面を強調する場合は儒学と呼ぶ。
儒学の中でも最も重要とされる倫理・政治上の概念は仁と、仁に基づく道徳的な社会の実現であり、仁とは他者に対する思いやりやいつくしみを意味する概念である。
 『ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典』では仁について次のように説明される。
「身分的隔差と上下関係を前提とした愛情,礼を基準にもつ愛情である※2」
仁とは個人間での愛情では無く、社会的な関わりや上下関係の中で生まれる感情を指す概念である点に、儒学が持つ政治的な一面が現れている。
 更に、社会的な関係性を前提とする仁を根底に持つ詩・礼・楽は必然的に社会的・政治的な側面を持つ概念であり、社会を写す鏡として、あるいは社会や政治を構成する儀礼としての一面がある。
例えば詩を学ぶ事が推奨されるのは、詩を政治的な外交の場で活用し、国家使節としての役割を果たす事が期待されるからである。
また、礼には政治的な場で行われる儀礼としての意味があり、楽は政治活動の中で行われる儀礼や饗宴の際に演奏する音楽としての意味がある。
 儒学では詩、礼、楽の根底に道徳的な意義を見いだす事で、彼等が理想とする社会を擬似的な形で政治的な儀礼や活動の中に取り込んでいる事が解る。
士大夫は詩、礼、楽を学ぶによって道徳的な価値観を身に付け、政治活動の中でこれらの技芸を行い、道徳的な政治から道徳的な国家を形成しようとした。
このため、儒学における詩、礼、楽と道徳、政治には密接な関係があり、それぞれが互いに理想的な国家を形成する為の意義を補完し合う関係にあると考えられる。


引用注

※1 『論語』八佾篇
※2 『ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典』仁の項目より

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(1)中国哲学における"気"の概念

 中国思想における気とは、人間の身体的・精神的諸機能の大元であり、天地万物を形成し、生命力、活動力の根源となる目には見えないエネルギーを意味する概念である。
気の理論は後に細分化し、陰陽の気や五行の気等の論説が発生した事で、陰陽論や五行論等、中国哲学を代表する概念が成立した。
古代中国では陰陽や五行にはそれぞれの気が宿ると考えられており、2種類または5種類の気が循環・配合される事によって、事物の異同や生成、変化を説明する様になった。
気は中国哲学の形成に大きな影響を与え、哲学用語として用いられた他に、天文、気象、医学、芸術、兵法、政治等々多様な分野の理論に取り込まれた。
 このレポートでは山水画における気韻生動と、『礼記』に記される「気」「象」の二つの概念を取り上げ、東洋の芸術理論と気の関係について述べる。

(2)東洋の芸術理論と"気"

 絵画の芸術理論として説かれる気韻生動は、言葉で説明する事が難しい概念であるが、張彦遠はそれを執筆中の画境の生命性の反映であるとし、郭若虚はそれを画家の精神性の表現である説明している。
気韻生動は元来、人物画だけに用いる表現であったが、唐代以降は風景画を含む絵画全般に用いられる芸術理論となり、古来東洋画の神髄を表わすものともいわれる。
 この他に、古代中国における音楽にも"気"の影響が現れている。
儒家の経典である『礼経』の注記である『礼記』・楽記篇では、音楽の成り立ちを人の精神や心に求める。
この中で展開される理論は、音楽の根源となる人の精神に"正しい気"が働きかける事で、それに感応して正しい"象"、すなわち音楽が発生し、姦悪なる気が働きかけると、淫靡な音楽が発生するという物である。

(3)"気"と芸術の関係について

 絵画における気韻生動は、芸術の根源を画家の精神としての"気"に求め、音楽はそれを人間の精神に働きかける目には見えない"気"という存在に求めている。
非常に似通った理論であるが、この点で二つの理論は大きく異なる。
 そもそも、中国哲学における気とは明確な定義のある物ではなく、非常に曖昧な性質を持つ概念である。
人間の源となるエネルギーが"気"であり、人間の精神に働きかけるエネルギーもまた"気"である。
この意味で二つの"気"は矛盾する物ではないが、同一の物でもない。
 万物の調和を理想とする中国哲学の影響を受け、政治や芸術等の分野に気を含む哲学的な思想が取り込まれた事は自然の流れであるが、この様な中国哲学の影響から、東アジアの芸術はある特殊な側面が成立した。
 気韻生動は画家の精神や画境が表れた物であるが、そこに表されているのは単なる画家の感情では無く、音楽に表されるのも単なる人の感情ではない。
東アジアにおける芸術とは、ひとつの道であり、同時にある種の信仰でもある。
芸術は単なる鑑賞物ではなく、作者の精神を鍛え、その精神を体現する為の方法のひとつである。
この意味で、東アジアの芸術は中国哲学との関わりの中で互いに影響を与え合い、特殊な一面を芸術に授けたのだと私は考える。

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P.S
これ、タイトルが無いんですけど・・・
大分前のレポートなので、タイトルは忘れました。
悪しからず・・・