小獅子の尾

芸術大学の通信教育部に通う20代女子の雑記

昨今の虐待事件について思う事・アダルトチルドレンと共依存

この頃、虐待に関する痛ましい事件が立て続けに報道されています。

この様な事件は、ある程度までは周囲からの働きかけで防げる物ですが、完全に防ぐ事は難しいと感じています。

今日は虐待についての記事を書こうと思います。

虐待とは

虐待について、民法八一三条には「配偶者より同居に堪へざる虐待又は重大なる侮辱を受けたるとき」と記されています。

児童虐待とは、親が子供に対して肉体的虐待、精神的虐待、性的虐待、ネグレクト(育児放棄)等を行う事を指します。

虐待を受けて育った子供の事をサバイバー(生存者)、もしくはアダルトチルドレン等と呼びます。

アダルトチルドレンは多くの場合、共通する精神的な特徴を持っており、共依存を引き起こしやすい為、社会の中で上手く身を処する事ができない場合が多いです。

子供の頃に植え付けられた価値観は容易に変えられる物ではありませんから、彼らには想像以上に困難があると言って良いでしょう。

アダルトチルドレンと聞くと、私はビートルズジョン・レノンの楽曲が思い浮かびます。

ジョン・レノン自身は虐待を受けていた訳ではありませんが、彼の楽曲『mother』や『working class hero』には幼少期の複雑な家庭環境が投影されている様に感じます。

私自身も幼少期の家庭環境が複雑でした。

『mother』の中でジョン・レノンは悲痛な叫びにも聞こえる歌を歌っていますが、これは多くのアダルトチルドレンの叫びと共通する物だと思います。

また、working class heroのMVの最後にはstrawberry feeldsと書かれた門が映されています。

strawberry feelds(苺畑)はビートルズの楽曲にしばしば登場する単語なのですが、これはジョン・レノンが幼少期に過ごした町にある孤児院の名前です。

MVの中に登場する制服を着た子供達は、労働者階級の子供達でもあり、身寄りの無い孤児でもある事を指し示しています。

『mother』や『working class hero』はアダルトチルドレンのイメージを良く表していると私は考えています。

見過ごされやすい虐待

虐待には、周囲が介入しにくいという根本的な問題があります。
親子関係が良好でも、子供を叱った事のない親は世の中に存在しないでしょう。

親子の関係は様々ですから、周囲が一方的に親のみを糾弾する事は難しいです。

特に、虐待をしている親御さんと個人的な関わりがある場合、子供の様子が余程おかしくない限り、虐待の通報はしないというのが現実でしょう。

仮に正義感から通報を考えた時でも、一体何を根拠に"虐待"だと主張するのか?

何かに怯えている様に見えても、元々大人しく気弱な性格の子供もいます。
いつも怪我をしている子供でも、遊びの中で怪我をしている場合もあるのです。

子供に対して怒る事と虐待の区別は、普通の人が考えるよりも曖昧な物です。

子供に対してついカッとなってしまい、子供は悪くないのに怒ってしまう事は、多くの親が経験する事だと思います。

その事に対する共感は、虐待の通報を妨げる原因の一つになります。

子供自身が通報できれば良いのですが、子供向けのメッセージは現状として非常に少なく、虐待についてのメッセージが届いていたとしても、共依存に陥る事で発見が遅れる場合は多々あります。

デジタル大辞泉には、共依存について次の様に説明されています。

「特定の人間関係に依存する状態。自己の存在意義を認めてもらおうとして過剰な献身をくり返すなどの行為がみられる。DV(ドメスティックバイオレンス)を受けた女性が、「自分が至らないために起こった」と考えて暴力に耐え、人間関係を解消できないなどの例がある。」

児童虐待では虐待を受けている子供が親を肯定しようとする事で、その関係性が解消されない状態となるのです。

虐待と社会的な背景


根本的に虐待を行う側には、他者を支配しようとする意識と、自分の強さ、もしくは権威を見せ付けたいと言う意識がある様に思います。

これはいじめにも共通する意識です。

この様な意識は健全な状態で唐突に出てくる物ではなく、自らに対する劣等感の裏返しであったり、日々感じている不条理な現実に対するフラストレーションの様な形で表れる物では無いかと私は考えています。

また、虐待を受けて育った子供が結婚して親になった場合、共依存的な価値観から抜け出せずに虐待を行う場合もあります。

虐待を行う親と子供の関係は閉鎖的であり、発展性の無い関係です。
この様な関係性は社会の至る所で目にする搾取の構造と非常に似ています。

ブラック企業では、なぜ搾取されているのに働き続ける従業員が居るのか?という疑問と、酷い虐待をされているのになぜ子供は親を庇うのか?という疑問の答えは同じです。

この様な構造は昨今、徐々に広がりを見せている様に思います。

虐待をする親に欠けている物は、思いやりではなく客観的な視点では無いのか。

社会の中枢となる人が自己中心的になる時、必ず社会に変革が起きます。
客観的な視点を持たないまま、成功する事はできません。

他者を支配し利用するという価値観は、インターネット上で活躍する特定のインフルエンサーの言動にも表れています。

私はこの事に小さな危機感を感じています。