小獅子の尾

芸術大学の通信教育部に通う20代女子の雑記

春日権現験記絵巻についてのレポート公開してみる

毎回頑張って執筆している課題レポートですが、著作権は執筆者にある為、公開しても良いそうなので出来の良い物は順次公開して行こうと思います。

読みたい人がいるのかどうかは解りませんが、大学での学びを残す意味で記録しておきます。
結局は自分の為です 笑

参考までに、このレポートの評価はA判定でした。
点数の悪い物は公開しません・・・

レポートを書く際の私の癖で、一文一文が長く、構成も良く練られていないので読みにくいです。
大変すみません。

※レポートを盗用する事は犯罪です。
盗用した方の学籍が剥奪される危険があるのでお控えください。


  (1)春日権現験記絵巻について
 春日権現験記絵巻は藤原氏一門の西園寺公衡が、これまでの一門の繁栄を感謝すると共に、更なる繁栄を願い製作を企てた絵巻で、春日大社創建の由来と約58話に及ぶ霊験奇瑞譚を収録した鎌倉時代の縁起絵巻である。
この絵巻は春日権現験記絵や単に『春日権現験記』とも呼ばれる物で、藤原家の氏神である春日大社へ奉納する事を目的に製作され、絵巻としては珍しい高価な絹本を全巻に用いている点に、単なる絵巻では無く、神前に供される特別な絵巻として製作された背景を読み取る事ができる。
 原本は延喜2年(1309)に春日大社に奉納され、数百年の間同神社にて秘蔵されていた物が江戸後期に流出し、勧修寺経逸脱や鷹司家を経て、明治8年(1875)と同11年に皇室に献上され、現在は皇居内の三の丸尚蔵館にて収蔵されている。
 痛みやすい絹本が700年以上の長期間に渡って保管され、完全な姿で現存しているという貴重性や、大和絵技法による精緻な描写から文化遺産としての価値が高く評価されており、鎌倉時代の社寺縁起絵巻の代表作、あるいは大和絵の代表作とも評価されている絵巻である。
 絵巻の内訳は、春日大社創建の由来と数々の霊験記す主となる巻が20巻と、本文とは別に記される目録が1巻、合わせて21巻である。
絵巻に記される詞書は、公衡の弟である覚円法印が起草した物を前関白鷹司基忠とその子息である摂政冬平、権大納言冬基、興福寺一乗院良信の四名が書き写した事、宮廷絵所預の高階隆兼が絵を担当していた事等が目録奥書より明らかとなっている。
 『春日権現験記絵巻』に記される物語と現代の物語を比較して特徴的なのは、神という言葉に対する概念の違いである。
春日権現験記絵巻』には複数回にわたる託宣の表現があり、目に見える形で神が人に言葉を伝えており、託宣の他にも神が菩薩や人物に近い姿でこの世に現れたり、来迎する等、現代とは異なる特徴的な表現が記される。
これらの表現は、現代では一般的に目に見えない存在と考えられている神とは異なる鎌倉時代当時の神に対するイメージとして捉えることができる。

  (2)権現信仰と春日明神について
 本文中に記される春日明神とは、春日大社に祀られる、武甕槌命経津主命天児屋根命比売神の四柱の神を意味する。
春日明神の別名であり、春日権現験記絵巻というタイトルにも用いられる春日権現の権現とは本地垂迹説によって信仰された、衆生を救済する為に仏が神の姿をとって現れている状況や、その様な神を意味する言葉である。
絵巻のタイトルに権現という言葉が用いられている事から、春日権現験記に記された託宣や春日明神の出現、来迎などの特徴的な説話は、仏が春日明神の姿をとって行った衆生の救済であるとの考えからこの絵巻が製作されたと推測する事ができる。
 春日明神は男神、女神、童子、仏等、複数の姿で描き別けられている。
本文中に明確な説明はないものの、霊験の種類と、その場面に描かれる神の姿には、ある程度の共通性が認められる。
この事から、春日明神を表す複数の姿は春日大社に祀られる四柱の神をそれぞれ特定の姿で描いた物であると考える事ができる。
 春日明神と仏教の関係について、『春日権現験記絵巻』十二巻の「一、蔵俊僧正の事」に、興福寺の権別当である蔵俊が保延六年五月二十九日の夜に「一宮は釈迦、二宮は弥勒、四宮は護法、三宮はどなただか分からないと思った※1」夢をみたという記述がある。
他にも、八巻の「一、清凉寺本尊事」に尼僧の夢に春日明神が現れた記述があり、春日明神は尼僧に「我は嵯峨の釈迦堂(清凉寺)にあり※2」と告げられたとあり、第十巻の「教懐上人事」には教懐上人が貴女姿の春日明神に対して「十一面観音である四殿が貴女の姿でお告げになった※3」と喜ぶ記述がある。
更に二十巻巻末に所載される「跋」には、春日明神の神域について「(二殿薬師の)浄瑠璃界、(一殿釈迦の)霊山浄土、(四殿十一面の)補蛇落山、(若宮文珠の清涼山)※4」であるとの記述がある。
 この様に、『春日権現験記絵巻』には春日明神の本地仏や、春日信仰と仏教の関係について多様な記述があり、これらは統一された一つの視点から記された物ではない。
ここに、春日大社の教理・教典としてではなく、霊験集成として製作された『春日権現験記絵巻』という絵巻物の性格を伺う事ができる。
 これらの記述は、鎌倉時代当時の春日信仰と仏教の関係、春日明神の本地仏、或いは神仏習合に関する人々の認識や信仰を示しており、当時の民衆がどのように春日神を信仰したのかを知る為の手がかりとなる貴重な記述である。

  (3)春日明神の慈悲と救済について
 藤原氏氏神である春日大社は、同じく藤原氏の氏寺である興福寺との繋がりが強く、神仏習合が進められる中で興福寺は春日明神を法相擁護の神、仏教の護法神として、慈悲万行菩薩という仏称を捧げた。
この事から春日明神は慈悲の神として信仰され、数々の霊験や縁起が説かれた。
これらの霊験や縁起は『春日権現験記』を含む霊験集成が製作される直接のきっかけともなっている。
 春日明神の霊験集成は『春日権現験記絵巻』の他にも複数存在しており、十三世紀前半に春日社の神官によって『古社記』を含む数種の縁起が製作されている他、二条家で行われた『春日社私記』また、未伝ではあるものの『大明神厳記』や貞慶による『御社験記』などが知られている。
 霊験とは本来、神仏への祈請や信仰から得られる、人知を超えた不思議なしるしや効験の事であり、現世利益を意味する場合が多い。
春日権現験記絵巻』についても例外ではなく、主に前半に集中する貴族の説話においては現世利益が中心に描かれている。
 しかし、中盤以降に収録される、庶民が登場する説話では、その多くに現世利益は認められず、春日明神による多様な救済と慈悲が描かれている。
庶民の説話の中心となるのは、春日明神の御神徳によって庶民が浄土へ向かう浄土教の教えに基づく利益である。
これは、第一殿の御祭神の本地仏が釈迦如来である事に基づく説話であると考えられるが、同時に念仏宗と共に庶民に広められた浄土教が当時の庶民に広く信仰されていた事を伺わせる記述でもある。
 仏教における慈悲について、大辞林第三版には「仏・菩薩の衆生をあわれむ心。楽を与える慈と苦を除く悲とをいう。※5」と記される。
現世利益を得て成功し、神を信仰する事によって無常に気付くという貴族の説話は、非常に明快であるが、これに対して、庶民の説話はより複雑な形態を取っている。
庶民が登場する霊験に現れる春日明神は、神道の畏れ敬うべき神としての姿や、慈悲によって衆生を導く仏としての姿、また、神仏に分離されない権現としての姿など、多様な形で現れている。
ここに、庶民間における多様な春日明神への信仰を見出だす事ができる。
 これまでにも述べてきた様に、霊験集成として編纂された『春日権現験記絵巻』には統一した神の姿は無く、集成された霊験からは、現世利益を授ける神、仏法の守護神する神、衆生を救済し浄土へ導く神など、それぞれの社会階層や立場に応じた神へのイメージや信仰を読み取る事ができる。
これらの霊験に記される説話は、浄土教阿弥陀信仰と共に広まった仏による「慈悲と救い」を仏法の守護神である春日明神に求めた物であり、この意味で数々の霊験は鎌倉時代、あるいはそれ以前の様々な社会階層に属する人々が神に求めた信仰と救いを映す鏡として今日まで、その価値を留める貴重な文献であると考えられる。

引用注
※1 春日大社国宝殿編集・発行『春日権現験絵巻』玄元舎、平成二十一年十一月発行、32ページ
※2 同書22ページ
※3 同書28ページ
※4 同書4ページ
※5 『大辞林第三版』三省堂、平成十八年発行、慈悲の項目より引用




人気ブログランキング
にほんブログ村 大学生日記ブログ 通信大学生へ
にほんブログ村