小獅子の尾

芸術大学の通信教育部に通う20代女子の雑記

中国人の宗教観ー民俗信仰と無意識の文化

年末の中国旅行で思った事は沢山あり、文字に起こし切れない程なのですが、その中でも日本では中国人は無宗教だと聞いていましたが、旅行中に至る所で縁起物を見掛けた事は強く印象に残りました。

そんな訳で、世界の民族に関する科目のレポートとして、中国人の宗教観をテーマにした物を書きました。

このレポートを書くにあたって、一般的な中国人の宗教に対する意識に関する情報が非常に少なかった為、SNSを使って中国人の宗教観について問いかけた所、とても興味深い回答を得る事ができました。

「中国人的信仰是一个很复杂的信仰,绝不单单是佛教道教……,它是融合了祖辈传下来的精神以及传统宗教的一些教义的一个信仰。而且在生活中总有一些隐晦的忌讳是跟宗教有关系的……」

私はデタラメな中国語しか出来ないので正確な意味は解りかねますが、日本語では大体、大まかに次の様な意味になります。

「中国人の多くは信仰を持たないと言いますが、それは違います。
単なる仏教や道教とは違い、中国人の信仰はとても複雑です。
その信仰は、祖先から受け継がれた精神と伝統宗教の教義が融合した物です。
そして、生活の中にあるいくつかの晦渋な禁忌は宗教に関連しています。」

この回答を見て、私は日本の民俗信仰を連想しました。
曾祖父が熱心に通っていた隣町にある山伏さんのお堂では、仏教とも神道とも違う儀礼が行われており、一般的な修験道の行法とも少し違う事をしていました。

また、私の地元ではトンド焼きの際に、しめ縄等を燃やす火の対面に神道の神様ではなく仏教の烏枢沙摩明王を祀る火をおこします。

この様な儀礼は特定の宗教に由来する物では無く、中国と同じ様に複数の宗教理論と祖先から受け継がれた精神が混合して成立している物では無いかと考えました。

日本では明治維新以降、神仏分離の時代を経て神道は民間の信仰から国家神道へと変貌し、終戦後に宗教団体として法人化し、氏子・信者を管理してきました。
仏教も同様に廃仏毀釈の時代を経て、宗教団体法人化し、檀家を管理しています。

仏教と神道の教理は今もなお分断された状態であり、現代では「神仏習合」の名残を留める程度です。

儒教神道を合わせた儒家神道も仏教と同じく、現代の神道儀礼にある程度残されている程度で、教理としては分断されたままになっています。

中国は時々、文化大革命で文化を失った国として評される事があります。
しかし、国家による介入が無かった事から、ある意味では日本が失ってしまった精神的な文化が中国には今も残っているのかも知れないと思いました。

お花見の際に、桜の枝を折った中国人が問題になった事がありました。
しかし、紅葉狩り、桜狩り等と言うように、古代の日本では紅葉した紅葉や桜の枝を折り、冠などに挿す事が一般に行われていた様です。
日本のみではなく、東洋には美しい花の枝を折る文化があります。

文化とは移り変わる物ですから、悲観的な意味では無いのですが、近代化と共に日本と中国は異なる部分で自国の文化を失ってしまったのかもしれません。

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