小獅子の尾

芸術大学の通信教育部に通う20代女子の雑記

【国楽と宗教舞踊】韓国の伝統舞踊・民俗舞踊

こんにちは。
現在無職の通信制大学生です。

少し前にハングルさえ書いたことの無い私が、韓国語(朝鮮語?)で韓国の舞踊家さんにファンレターを書いたお話をしました。

そこで、今日は韓国の伝統舞踊について説明したいと思います。

なお、東洋では舞踊と音楽の総称として古来より"楽"という言葉が用いられて来ました。

"舞踊と音楽"と書くと少し文章がくどくなるので、ここでは伝統的な表現に則って"楽"という言葉を使いたいと思います。

雅楽について

日本の伝統的音楽や舞踊に最も影響を与えている楽は雅楽です。

雅楽については以前にもこのブログで触れていますが、まだ読んでいないという方はこちらからどうぞ。
xiaoshizidewei.hatenablog.com


過去の記事でも紹介している様に、雅楽は本来儒教儀礼の中で行われる、ある種の宗教的な意味を内包する儀礼音楽です。

ご存知の通り韓国は儒教が盛んな国ですから今も雅楽が伝わっており、儀礼の中で雅楽が演奏されている様です。

雅楽は中国系の楽ですが、中国では文化大革命が行われた影響から、現在は韓国と台湾で継承されている物が主な研究の対象となっています。

やはり中国系の楽ですので、韓国(北を含めて朝鮮と表記すべきでしょうか・・・?)独自の伝統的な表現は少なく、中国系の舞型が散見されますが、舞踊の端々に韓国的な表現も見受けられ、それが独自の魅力となっています。

個人的に、魅力的な楽だと感じています。

国楽について

国楽という言葉は、伝統舞踊と関わりの無い方からすると耳慣れない言葉かも知れませんが、台湾や韓国等の国々で、中国にルーツを持つ楽の総称として用いられている言葉です。

主に宮廷舞踊等を指しますので、広い意味では日本の雅楽も国楽の一種であると言えます。

ただ、日本雅楽の場合は年代が少し異なりますから、国楽と表現するのが一概に正しいとは言えないですが・・・

日本の雅楽は中国にルーツを持つ"唐楽"と、朝鮮半島にルーツを持つ"高麗楽"に大きく分類されているのですが、韓国の国楽には日本雅楽に通じる表現が多々あります。

共通する舞型、楽器を用いて演奏される国楽はいつも私に雅楽のルーツを連想させます。

日本の雅楽と同様に宮廷音楽としての側面を持ちますから、優美で洗練された舞踊で、韓国の伝統舞踊を表現する"静中の動"という言葉を正に表すような楽です。

農楽について

韓国の伝統芸術に興味が無くても農楽は見たことがある方が多いのではないかと思います。

農楽では、白い装束の上に青や黒の衣装を重ねて、頭頂に長い紐の着いた小さな帽子を被り、頭頂の紐を回転させながら楽器を演奏します。

農楽は民間で行われる民族宗教の宗教儀礼で、農楽を行う人々を農楽隊と呼びます。

一般的には楽器を演奏やアクロバットが有名ですが、本来は中国系の傀儡戯(人形劇)とは異なる朝鮮の民俗芸能としての傀儡戯や、語り物音楽等も農楽隊は継承していました。

また、彼らは各地の村落で門付けの芸能(村人の家に入って宗教芸能を行う)等を行う民俗宗教の宗教者であり、同時に各地を放浪する旅芸人の一座でもありました。

農楽の芸能は日本の宗教芸能とも密接な関わりがあり、神道における宗教芸能のルーツを思わせる芸能です。



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【真言宗・タントラ】中国・チベットの密教と六つの宗派

こんにちは。
現在無職の通信制大学生です。
今日はチベット密教についてブログを書こうと思います。

密教とは?

密教と言うと、日本では空海真言宗最澄天台宗が有名ですが、密教と仏教の違いを知っている方は案外少ないのでは無いかと思います。

仏教における密教(ヒンドゥー教密教もあるそうです)とは、8世紀以降に成立した後期密教聖典の通称です。

密教は別の言い方では「タントラ」と言います。

タントラは日本語では真言と訳される事がある言葉なのですが、本来は経典に表れない秘密を示した典籍であることを含意する言葉なのだそうです。

難しいですね。
簡単に言うと、密教とは限られた仏教徒だけに伝えられる"秘密の教え"という事です。

この秘密の教えを知るために、有名な弘法大師空海伝教大師最澄は唐の国へと留学しました。

日本の密教の源は中国・チベット密教ですが、中国・チベット密教とはどの様な物なのでしょうか?

中国・チベット密教

中国の密教は主にチベットを中心とした地域で信仰されていて、沢山の宗派があります。
その中でも主な宗派として四つの宗派が挙げられます。

それぞれの宗派は紅教、黄教、白教、黒教と呼ばれており、恐らく五大に基づいて四つの色が当てはめられている物と考えられます。
※その割に一色足りませんが、その辺は良く解りません!

この内黒教のみ、密教が盛んに信仰されるチベット周辺地域で、密教が伝来する以前から信仰されていた民俗宗教です。

黒教は本来は密教とは異なる宗教でしたが、密教が伝来して以降は黒教と密教が融合し、現在は密教の一派としても数えられている為、黒教と密教の関係には注意する必要があります。

それぞれの宗派には紅教、黄教、白教、黒教等の呼び方の他に、次のような名称があります。
名称と共に、各宗派を紹介したいと思います。

※書いている内に、何故か二宗派増えていました!

旧派(紅教)

紅教はチベット密教の旧派の事です。
黄教(ゲルク派)と紅教は、チベット密教において特に重要な二流派と言えます。

従来からのニンマ(古)派などの保守的な諸宗派が紅帽を着用していた事から、紅教と呼称されています。

開祖は、八世紀の中ごろにインドからチベットに来たパドマサンババ(蓮華生)だとされています。

ゲルク派(黄教)

ゲルク派ダライ・ラマ法王を中心とするチベット密教の主要な流派です。

ゲルク派の教えは後述のカダム派から引き継いだ物で戒律を重視する所に大きな特徴があります。

旧派の紅教に対して、黄帽・黄衣を身につける為、黄教と呼称されています。

開祖はツォンカパで、15世紀初めに宗風の改革をめざして創始した宗派だとされています。

カダム派

1032年にインドの僧侶アティーシャがチベットに招かれ、ラマ教を改革しました。

その際に影響を受けた高弟ドムトゥンが創設した宗派がカダム派です。

カダム派チベットで最も古い宗派だとされており、カダムという言葉には仏の教え、仏の戒めという意味があります。

戒律を重視する点にこの宗派の特徴があり、後のゲルク派を産みました。
カダム派は現在、ゲルク派に吸収されています。

サキャ派(花教)

サキャ派は、北部チベットでアティーシャの思想的影響を受けて成立した宗派の一つ。

ティーシャとは、9世紀半ばにラン・ダルマによって破壊された仏教を再建するため、インドからチベットに招かれた仏教僧です。

13世紀には中国元朝の帰依を受けて、チベットの政教両権を掌握しましたが、現在ではサキャ寺・デルゲ寺を中心とする地方勢力となっています。

カギュー派(白教)

ティーシャの傾向に近い弟子の系統から、後にガンポパのような無上瑜伽タントラ系の不思不観の瞑想法をとり入れるものが現れました。

彼らは多くの追随者を集めた事からカギュー派と呼ばれ、カダム派(アティーシャの弟子を主にカダム派と呼称する)と区別されています。

ボン教もしくはポン教(黒教)

ボン教・ポン教とは冒頭で説明した通り、密教が伝来する以前からチベットの地で信仰されてきた宗教です。

ボン教密教は異なる起源を持ちますが、互いに影響を与え合っている事から、現在は両者の区別が難しいほど習合が進んでいます。

ボン教には、チベット古来の原始的な民俗宗教であるボン教を指す場合と、チベット仏教の中の一派として密教と習合したボン教を指す場合があり、文献を読む際には注意が必要です。

チベット旅行について

外務省の海外安全ホームページによると、チベットは危険レベル1、十分注意して下さいとの事です。

チベットは政治的に難しい問題もありますが、意外と日本の旅行会社でも頻繁にチベットのパッケージツアーが組まれています。

ツアーを使うと料金が高額になりますが、チベットの場合は高山病の可能性があります。

この為、医師が同行して定期的に検診してくれる日本のツアーは、安全面では非常に優れています。

個人でチベットに入り、高山病で意識を失い行方不明になる方も年に数人は居るそうなので、少なくとも単独で行くべき場所では無いですね。

チベット旅行記』について

そんなチベットですが、まさかチベットまで旅行には行けないわ・・・という方には『チベット旅行記』という本がお勧めです。

入国が禁止されているチベットに日本人の僧侶が潜入した際の実話なのですが、口語文が確立される前の特徴的な書き言葉に加えて、著者の個性的な性格から、読み物として楽しめる内容になっています。

現在は著作権が消失しており、電子書籍等で無料で読むことが出来ます。

チベット旅行記』の著者である僧侶は仏法を求めて真剣な旅をしているのですが、どうも彼はユーモアに富んだ所があり、とても楽しめる書籍でした。
(ただのお勧め)



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【Google翻訳・誤訳を防ぐ】韓国語ができない私が韓国の舞踊家にファンレターを書いてみた

こんにちは。
現在無職の通信制大学生です。

先日、毎年楽しみにしている韓国の伝統舞踊の公演に出掛けて来ました。

三年間通いつめた私の心に蓄積している想いを伝えるべく、ハングルすら書いた事のない私が、Google翻訳を使って韓国語(朝鮮語?)のファンレターを書いたので、この事を記事にしてみようと思います!

Google翻訳は正確か?

Google翻訳の信頼性について、私は全ての翻訳が正しいとは思っていません。

私は中国語を勉強していますが、中国語では時折真逆の意味に翻訳されていたり、特に長文の場合は意味の解らない日本語訳になっている場合もあります。

しかし、使い方によってはGoogle翻訳はかなり正確な翻訳が可能なので、今日はGoogle翻訳で誤訳をふせぐ方法と、Google翻訳の個人的な使用方法について記事を書こうと思います。

Google翻訳で誤訳をふせぐ方法

当然の事ですが、自動翻訳の場合は長文よりも短文の方が正確に翻訳される事が多いです。

更に、イディオム(ことわざの様に、本来とは異なる意味のある言葉)等は使わずに、具体的な単語を使って、簡単な文法を使うだけで、誤訳をかなり防ぐ事ができます。

感覚としては、子供と話をする時の感覚でしょうか。

Google翻訳は子供よりも語彙はあるので、難しい単語は理解できますが、イディオムや文法には弱い印象があります。

逆転翻訳で確かめる

上記の方法を踏まえて翻訳した文章でも、誤訳がある場合があります。

誤訳を防ぐ意味で、一度翻訳した文章を更に日本語に翻訳し直してみると、翻訳の正確さがかなり上がります。

逆翻訳をして変な表現を見付けた場合は、元の文章から該当する単語を見付けて、より簡単な言い回しにするとスムーズに翻訳できる場合が多いです。

結局語学を学ばなければ正確な翻訳はできないのですが、この様な手順で正確さを格上げする事はできます。

Google翻訳は結構使える

Google翻訳は、海外に旅行する時や日本で外国人と接する時に使える他、翻訳した文章を音声再生する事もできるので、私は語学学習にも使っています。

大学で色々な事を学んでいると、時には日本語の資料が無い事もあります。

Google翻訳のアプリはカメラ機能を使って入力する事もできるので、外国語の資料を読まなければならない時にもとても便利です。

資料や書籍になると、ある程度は語学が出来なければ読破する事は難しいですが、アシストがあるのと無いのとでは雲泥の差です。

さいごに

私は大学に入学してから、国際的な視野を持つことの重要性を実感する様になりました。

外国の文化や習慣を正確に理解する為には、ある程度の語学が必要になって来ます。

しかし、翻訳アプリを使う事で語学へのハードルが下がり、語学力が高くなくても解らない部分を翻訳できる事に随分と助けられました。

海外の資料や書籍を読んだり、専門的な会話をする為には語学力が必要ですし、私はコンピュータが翻訳者の代わりになるとは思っていません。

コンピュータは自分で自分の間違いを認識できる訳ではないですから。

しかし、外国語で自己を表現する、あるいはコミュニケーションを取るためのツールとして翻訳アプリはとても有用だと感じています。




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読書の感想『嵐が丘』エミリー・ブロンテ


通信制大学の講義の中で、読んでもいないヨーロッパ文学に関するレポートを書いた事にモヤモヤしていたのですが、ついに『嵐が丘』を読破しました。

数ある文学作品の中から『嵐が丘』を選択した理由は、ブロンテ姉妹に興味を持っていた事と、「ヒースクリフの様な人に愛されたい」という感想を何度か耳にしたからでした。

結果的に、ヒースクリフは激しすぎますし、私はヒースクリフの様な人に愛されたいとは思いませんでしたが、色々と思う所があったので感想を書きたいと思います。

あらすじ

物語は<嵐が丘>の主人の娘・キャサリンと、<嵐が丘>の主人に拾われた肌の色が黒い孤児・ヒースクリフを中心に展開します。

ヒースクリフは<嵐が丘>の主人には可愛がられ、キャサリンとも幼少の頃から仲睦まじく、互いを想い合う関係でした。

しかし、その為に若主人からは嫌われ、虐待を堪え忍ぶ様になります。

やがてキャサリンは<鶫の辻>のエドガーと結婚し、絶望に打ちひしがれたヒースクリフは屋敷を去りますが、やがて莫大な富を得て<嵐が丘>に戻って来ます。

陰鬱な空気とコントラスト

物語はく<鶫の辻>の間借人・ロックウッドが、使用人のネリーに話を聞く形式で進みます。

前半はゴシップの様な話から、徐々に重々しく陰鬱な雰囲気が漂う様になり、登場する人物も実に癖のあるキャラクターばかりです。

過去の記憶を思い起こす様に抽象的で、重苦しい印象を感じました。

その後、キャサリン・アーンショウの娘・キャサリン・リントンが活躍する後半になっても、ヒースクリフの存在によってクライマックスまで物語から陰鬱な空気は払拭される事はありません。

しかし、クライマックスに向かって、物語の登場人物からは、より人間的な感情と躍動感が感じられる様になります。

ラストは、作品全体に感じられる重苦しさが消え、ハッピーエンドを迎えた事で、作中全体を通して漂っていた重苦しい空気と対立する様な構成に、強いコントラストを感じました。

互いを象徴する登場人物

新潮社文庫『嵐が丘』の解説には「第二世代は第一世代のリプレイでもあり反転でもあり」と記載されています。

私はこの解説を読み、漸くこの良く解らないけれど引き込まれる小説の構成を理解しました。

キャサリン・アーンショウとその娘・キャサリン・リントンは同じ性質を持つキャラクターで、<嵐が丘>のリントンとヘアトンはヒースクリフエドガーを象徴する存在なのです。

そして、ヒースクリフは彼自身を虐待し、妻を亡くしたヒンドリーを象徴しています。

私は以前、「現代の文学作品は、物語の筋を追うだけで質が低い」という批判を耳にした事があるのですが、なるほど、文学作品とはこの様な複雑な構成の中に成立する物なのかと一人納得した次第です。

二重のクライマックス

嵐が丘』では、第一世代と第二世代が互いを反映している他にも、キャサリンヒースクリフの関係が死語の世界を通じて語られています。

取り憑かれた様にして、自殺か否かも判別しないままこの世を去ったヒースクリフは、物語の中でキャサリンと共に亡霊として表れた事を、物語の登場人物は語っています。

さらに、キリスト教において自殺は罪で、自殺者は教会の墓地には入れない決まりが作中で語られますが、ネリーは余計な事は語らずに、ヒースクリフを教会の墓地へと埋葬しています。

取りつかれた様な状態で、何日も食事も取らずさ迷い歩いたヒースクリフは果たして自殺であったのか、天国へ至る資格があるのか、読者には解りません。

第一世代ではキャサリンに復讐したヒースクリフを、第二世代ではキャサリンの霊が象徴しているのかも知れません。

ロックウッドが最後に「こんな静かな大地に休らう人々が静かに眠れぬわけがあるだろうか。」と語った所で物語は終わりますが、登場人物全員が幸せになったかの様に思わせるラストは含みが多く、やはり印象的であると言わざるを得ません。




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やりがいがある仕事・やりがいがない仕事ー心理学の視点から見る雇用問題

こんにちは。
現在無職の通信制大学生です。
前回に引き続いて心理学を勉強しています。

昨日、マクドナルドで心理学のテキストを読んでいて、ふと、仕事へのモチベーションは自己効力感と関わっているのでは無いかと思い、記事を書くことにしました。

なお、この記事ではマクドナルドを例にした為、マクドナルドを称賛する様な内容ですが、筆者はマクドナルドで働いた経験は無く、マッククルーの実情には詳しくありません・・・

マクドナルドの仕事は楽しい?

私はフリーターをやっていた頃、飲食関係(カフェですが)の仕事をしていました。

元マッククルーの同僚さんと仕事の話をしていて、マクドナルドで働いていた人は飲食の仕事を続ける場合が多い事を知りました。

転職してから、更に数人の元マッククルーの方と知り合いましたが、辞めた後もマクドナルドの仕事が楽しかったと言う方が多かったです。

マクドナルドは明らかに忙しい仕事ですが、何故これほど従業員から好かれているのでしょう?

不思議に思って調べてみると、その理由はマクドナルド社の人材マネジメントにある様でした。

自分の仕事が評価される仕組み

マクドナルド社の中で行われている、様々な人材マネジメントの中でも特にキャリア開発プログラムは従業員の心理に大きく影響しています。

マクドナルドのアルバイトには、クルー、トレーナー、スター、スウィングマネージャーという四つの役職があり、能力によって役職が変化すると共に昇給する仕組みがあります。

自分の仕事によって役職が上がり、昇給する事ができる仕組みがアルバイトのモチベーションを高めている事は間違いないでしょう。

実際に、仕事やプライベートで知り合った元マッククルーからも、しばしばこの仕組みを耳にします。

自己効力感と達成目標

昨日のブログでは主に学習性無力感について説明しましたが、マクドナルド社の取り組みは自己効力感と関係がありそうです。

自己効力感は成功体験を積み重ねる事で形成されます。
成功体験を積み重ねるには、適度に高い達成目標を設定し、学習を続ける必要があります。

この事を踏まえて考えて見ると、マクドナルド社のアルバイト内での役職は、従業員にとって自然と達成目標となっている事が解ります。

更に、成績よりも学習する事を目的とした達成目標を先に設定する事で、人は成功を目指して学習を続けられる事が解っています。

この事から、マクドナルドでは役職の存在自体が多かれ少なかれ個人のモチベーションを高める役割を担っていると考えられます。

やりがいがある仕事とは?

転職や求人に関する情報を見ていると、時々見掛けるやりがいがある仕事とはどのような仕事なのでしょうか?

デジタル大辞泉』では遣り甲斐について、次のように説明されています。
ーそのことをするだけの価値と、それにともなう気持ちの張りー

必要のない仕事をさせる為に人を雇う事は少ないでしょうから、基本的に仕事には"するだけの価値"があります。

この事から、やりがいがある仕事とはモチベーションが高まる仕事だと捉える事ができます。

これは、適度に高い達成目標に向けて学習して行ける環境で成功を積み重ね、自己効力感を得られる仕事の事では無いでしょうか。

やりがいを感じる環境

もちろん、仕事で成功を積み重ねる為には本人の能力が必要ですが、能力を得るためには相応の環境が必要な事も事実です。

やりがいがある仕事がしたいという人は、実際には"仕事に打ち込んで向上して行ける"環境を求めているのではないでしょうか。

これは、単調な作業を続ける事が出来ないという意味ではありません。

例え日々の仕事が単調な作業であっても、仕事に価値を感じ、仕事に対する意欲がある場合、単調な作業であってもやりがいがある仕事になるからです。

やりがいのある仕事をする為には、仕事における達成目標を見付けられるか否かを考えると良さそうです。




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ブラック企業で働き続けてしまう理由ー心理学の視点から見る雇用問題

こんにちは。
現在無職の通信制大学生です。

この頃心理学を履修して勉強しています。
心理学とは、人の行動や判断を科学的な視点から判断しようとする学問ですが、心理学は社会に当てはめて考える事ができると感じました。

そこで、心理学として学んだ事を実際の社会に当てはめて、身近な問題を科学的な視点から考えてみたいと思います。

学習心理学

私は今、大学で学習心理学を学んでいます。

学習心理学の中で使われる「学習」とは、人間が何かを経験する事で生まれる行動の変化(学習)を意味しています。
学習心理学では、人間はどのような原理・法則の元で学習するのかについて研究しています。

行動をおこす源となる意欲を動機といいます。
学習の動機は多種多様ですが、身近な物では賞罰や効力感・無力感、努力と能力への原因帰属等があります。

セリグマンとマイヤーの実験

セリグマンとマイヤーは次のような実験をしています。

彼らは犬をABCの三つのグループに別け、A,Bグループの犬に電気ショックを与えます。
Aグループの犬には自分で電気ショックを止められる仕掛けを作り、Bグループの犬は自分では電気ショックを止められない仕掛けを作ります。

そして、Cグループの犬には何も経験させませんでした。

更に、二部屋のシャトルボックスを用意して、犬が部屋を移動すれば電気ショックを止められる仕掛けを作り、実験しました。

すると、Aグループの犬はすぐに仕掛けを学び、電気ショックの度に部屋を移動する様になりました。

一度目の実験で何も経験していないCグループの犬も、Aグループと同程度の時間で電気ショックを止める仕掛けを学習しました。

しかし、Bグループの犬はその場にうずくまるだけで、全く仕掛けを学習しませんでした。

自己効力感と学習性無力感

セリグマンとマイヤーの実験で、Bグループの犬はなぜ他の犬と同じように電気ショックの仕掛けを学習しなかったのでしょうか?

なんとなく解ると思うのですが、Bグループの犬は学習しなかった訳では無く、一度目の実験で電気ショックを止める事はできない事を学習してしまったのです。

自ら結果を変えられる事を学んでいるA,Cグループの犬の状態を自己効力感、結果を自分では変えられない事を学んでいるBグループの犬の状態を学習性無力感と言い表します。

学習性無力感の状態にある人は、自ら行動を起こす事を止めてしまいます。

学習性無力感を学んだ時に、私はブラック企業で働き続ける人が会社を辞めない理由はここにあると感じました。

私達は何処で無力感を学習しているのか?

ブラック企業で不当な扱いを受けながら働き続ける人達の心理に学習性無力感が関係しているならば、彼らは社会の何処かで無力感を学習しているという事になります。

一体どこで無力感を学習しているのでしょうか?

ブラック企業から転職してもブラック企業だった、会社に意見や提案を全て却下された。
このような状況が続けば、人は無力感を学習してしまいます。

この様な状況は、実際問題として良くある事ですし、同じ状況でも現状を打破できる人と、現状を打破出来ない人がいます。
この違いは過去の経験から来ています。

例えば、学生の頃から勉強やスポーツ等で結果が出せなかった人や、社会人になってから何年も結果が出せない状態が続いた場合、人は思考を停止して"自分には結果が出せない"事を学習してしまいます。

根本的な問題として

更に根本的な問題として、現代の日本では個人の意見が尊重されないという点が、これらの問題に大きな影響を与えている様に思います。

例えば、欧州の様に従業員がストライキを起こす様な環境があれば、従業員一人一人が会社を変えていく事ができるという認識が自然に芽生えて来ます。

しかし、組織に対して個人が意見する事が認められない環境にある場合、従業員は必然的に自分の意思や意見を抑え込む様になります。

"個人の考え会社に反映されない"事を学ぶ事で、会社に対する疑問や要求は個人の中で"抑え込むべき"物だと理解されてしまうのでは無いでしょうか。

職場がこの様な環境になると、自然と社内の自浄作用が無くなり不正が起こりやすくなります。

ブラック企業に勤めている人は一度立ち止まり、自分の心理的な状態と社内の環境を冷静に判断すべきだと思います。




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知的障碍者・精神障碍者が差別を受ける日本の現実

こんにちは。
現在無職の通信制大学生です。

私自身、軽度の障碍を持つ身として、今日は障碍者を含む弱者がどの様に社会に適合して行くべきなのか?という私自身の問を文章に書き起こしてみようと思います。

刑務所内の障碍者

私はこのビデオを見て、軽度の知的障碍者、精神障碍者の生きづらさについて考えさせられました。

youtu.be
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下のビデオの中で、山本譲司さんは障碍をスペクトラム(連続体)という言葉を使って説明しています。

山本さんの言うように、実際には全ての障碍に連続体としての一面があり、障碍者と健常者の線引きは常に曖昧な物だと考えられます。

動画のコメント欄には、登場する知的障碍者の方達は、真面目に働けば生活できる人達だとする指摘がありました。

しかし、私はこのコメントに反対します。
真面目に働いても生活に困難があるからこそ、この様な問題になっているからです。

私には彼らの生きづらさが身に迫る様に感じられました。

この動画が製作されてから十年以上の月日が流れましたが、軽度の障碍を持つ受刑者は現在も増加する傾向にあります。

十年以上の月日を経ても問題はなにも解決していません。

ステップアップできない社会

私は個人的に、今の日本の社会的な環境を"ステップアップできない社会"だと感じています。

そもそも、日本の企業における社員の評価には奇妙な偏りがあり、優秀な人物よりも、より平均的な能力を持つ中間層を評価する様な傾向があります。

日本は学歴社会だと言いますが、大学院卒の資格はあまり評価されず、就職市場ではストレートで学部を卒業した人間が積極的に採用されています。

未だに終身雇用制を引き摺っている事から、転職にはマイナスの意味がある他、キャリアアップの為に社会人から学生へ戻るという選択肢も、一般的には受け入れられていません。

学習が困難な家庭環境に生まれた場合や、金銭的に困窮している家庭に生まれた場合、キャリアを更新していく事が難しく、結局生育環境によって将来が決定されてしまうという現実があるのです。

障碍者の場合、この様なハンデは更に大きい物になります。

障碍者への意識と差別

動画の中で、山本さんは日本の精神障碍者が社会から隔離されてきた歴史に触れています。

現在の日本では、重度の障害で医療的な問題がある場合や犯罪に巻き込まれた場合等を除いて、障碍者が隔離される事はありません。

しかし、障碍者と健常者の生活を切り分けようとする意識は、現在も様々な形で見え隠れしています。

知的障碍者・精神障碍者ではありませんが、車椅子利用者についてこの様な動画があります。
動画の前半は英語ですが、車椅子利用者の方へのインタビューは日本語です。

聴覚情報処理障碍のある私にはかなり聞き取りにくいですが、普通の方だと聞き取れるのでしょうか?
ちょっと解りませんが、興味のある方はご覧になって下さい。
youtu.be

私は障碍者手帳について医師と相談した際に、日本では身体障碍者への理解は昔よりも進んでいて、差別は徐々に減っているけれど、精神障碍者(脳の機能障碍は精神障碍に分類されます)への偏見や差別は根強く残っていると説明を受けました。

結婚や就職、今後の人生に関わる事なので、手帳の申請はギリギリ迄先伸ばしにした方が良いというのが医師の見解で、私はこれまで手帳の無いグレーゾーンで定型発達・健常者として生活して来ました。

実際に、障碍者手帳を取得している事が原因で、当事者や家族の理解はあったにも関わらず親類から離婚を迫られた患者さんも過去に実在したそうで、私は医師の判断が間違っていたとは思っていません。

障碍者として生きる事

人と違う特性を持つ人物が日本社会で生活して行く事は、決して容易な事ではありません。
これは、私自身が軽度障碍者として日々感じてきた事でもあります。

軽度障碍者の多くは日常的なサポートは必要としないものの、社会生活に適合して行く程の力は有していません。
日本経済が停滞し、雇用問題が注目される今、軽度障碍者の犯罪率は増加しています。

一度社会的な評価の基準から外れた者が、再び社会で評価を受けるのは事実上難しい事だと思います。

私は自分自身の問題を含めて、一部の障碍者や犯罪者等、一般社会から弾き出された人達が、どの様にして自身で生計を立てて行くのかについて、以前から強い関心を持ってきました。

通信制大学や様々な制度を通じて、全ての人に教育を受けるチャンスがある事を発信したいと思っていますが、正直、今の私にはこの問題をどの様に解決すべきなのかは解りません。

今後なにかしらの形で意見を表明して行くことができればと感じています。